2013年6月29日土曜日

Blas de Otero murió ブラス・デ・オテーロ歿 (1979年)


Blas de Otero Muñoz (Bilbao, 15 de marzo de 1916 - Majadahonda, Madrid, 29 de junio de 1979) fue uno de los principales representantes de la poesía social de los años cincuenta en España.


ブラス・デ・オテーロはビルバオの生まれですが、10歳のときに経済的貧窮に陥り、家族はマドリードに移り住むこととなりました。1932年に父親が亡くなるまで この首都マドリードで過ごし、その問、家族の面倒も見ました。内戦中は地元の共和国側の兵士となって戦い、捕虜生活も体験しました。戦争が終わると企業の法律顧問として働いたあと、マドリード大学の哲文学部で文学を学び、若い詩人たちと交わり、アロンソやアレイクサンドレから暖かく迎え入れられましたが、その翌年には学業を放棄してビルバオに戻りました。
この頃は精神的に打拉がれ、サナトリウムで療養しなければならない時期でもありました。1950年代に入ってからはスペインの現状に嫌気が差し、パリに移住して共産主義者となりました。1956年以降、数年ほどバルセロナに住み、カタルーニャの知識人と交流したり、フランス、ソ連、中国、キューバなどにも足を運んだりする機会を得ました。


主な詩作品には Ángel fieramente humano 『恐ろしく人間的な天使』(1950年)、Redoble de conciencia 『良心の連打』(1952年、この2作を合わせたものに四十数篇の詩を加えた Ancia 『アンシア』(1958年)、Pido la paz y la palabra 『平和と話し合いを求める』(1955年)、Que trata de España 『スペインについて』(1964年)、遺作 Historias fingidas y verdaderas 『見せかけの歴史と真実の歴史』(1980年)などがあります。オテロの詩は、それまでの響きのよい現実逃避をテーマにしたものとは違い、複雑な世の中に生きる人間の生々しい姿や思いに焦点が当てられ、今日では社会派詩人、スペイン内戦を証言する有力な詩人の1人として評されています。彼の詩は一般的に実存主義的であり、人間の苦悩に満ち溢れており、豊かで個性的な表現とは裏腹に、ぎすぎすした物言いや苛立ちが感じられます。









Hombre

    Luchando, cuerpo a cuerpo, con la muerte,
    Al borde del abismo, estoy clamando
    A Dios. Y su silencio, retumbando,
    Ahoga mi voz en el vacío inerte.

    Oh Dios. Si he de morir, quiero tenerte
    Despierto. Y, noche a noche, no sé cuándo
    Oirás mi voz. Oh Dios. Estoy hablando
    Solo. Arañando sombras para verte.

    Alzo la mano, y tú me la cercenas.
    Abro los ojos: me los sajas vivos.
    Sed tengo, y sal se vuelven tus arenas.

    Esto es ser hombre: horror a manos llenas.
    Ser —y no ser— eternos, fugitivos.
    ¡Ángel con grandes alas de cadenas!
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