2017年8月6日日曜日

Antonio García Gutiérrez murió アントニオ・ガルシア=グティエレス没(1884)

Antonio María de los Dolores García Gutiérrez (Chiclana de la Frontera, 5 de julio de 1813-Madrid, 6 de agosto de 1884) fue un dramaturgo, libretista de zarzuela, poeta y escritor romántico español.

Antonio García Gutiérrez, nace en Chiclana de la Frontera el 5 de julio de 1813.

Poeta y autor dramático, cursa unos primeros años en la carrera de Medicina; se traslada a vivir a Madrid, donde trabaja de traductor de francés de comedias de Eugène Scribe y novelas de Alejandro Dumas, y colabora en revistas y periódicos, llegando a alistarse como voluntario en el Ejército debido a su escasez de medios económicos, en Leganés, a la vez que escribe continuamente, incluso eludiendo tareas militares y aprovechando pequeños descansos, para tratar de introducirse en el mundo literario.

En el Teatro del Príncipe trabajaba el actor Antonio de Guzmán, quien le anima a que se represente su obra El Trovador, y aunque no parecía haber muchas esperanzas sobre ella, García Gutiérrez busca en Madrid la opinión de Espronceda, la figura literaria más importante del momento, quien interesado en la calidad de los versos y el argumento, le patrocina la obra para que la obra se estrene, cosa que ocurre en marzo de 1836, año en el que otros dos paisanos suyos triunfan igualmente en Madrid: Juan Mendizábal como primer ministro de economía, y Francisco Montes Reina, Paquiro, como torero.

Antonio escapa del cuartel para asistir al estreno, aunque las autoridades militares le conceden el indulto y el escritor puede desde entonces dedicarse por entero al teatro. La obra se finaliza con tal éxito, que tras los insistentes aplausos García Gutiérrez tiene que salir a saludar al público, costumbre que se viene repitiendo desde entonces después de las representaciones teatrales. Desde ese momento su trayectoria artística es extraordinaria, aunque tiene algunos altibajos, llegando a viajar a América, en 1844, donde trabaja como traductor.

En 1855 se traslada a Londres donde desempeña el puesto de comisionario interventor en el caso de la deuda de España, y allí vivió hasta el año 1858. En 1877 es elegido para ingresar en la Real Academia Española.

Otros cargos que obtuvo durante estos años fueron los de Director del Museo Arqueológico Nacional y del Cuerpo de Archiveros y Bibliotecarios; y el de Cónsul de España en Bayona y en Génova.

Murió en Madrid, el 6 de agosto de 1884.


Antonio García Gutiérrezスペイン文学


アントニオ・ガルシア=グティエレス 『吟遊詩人』本日発売 El trovador (1836)の邦訳 Antonio García Gutiérrez

2017年8月5日土曜日

Iwanami Shoten fundada 岩波書店開業 (1913)

1913年(大正2年)の今日、8月5日、岩波茂雄が東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発しました。正札販売方法を採用し、注目を集めました。同1913年12月1日に蘆野敬三郎の『宇宙之進化』、翌1914年(大正3年)に夏目漱石の『こゝろ』を刊行し、出版業にも進出しました。漱石没後に『夏目漱石全集』を刊行し、躍進しました。看板は漱石の筆によるものです。

Iwanami Shoten (岩波書店) es una editorial japonesa con sede en Tokio.

Iwanami Shoten fue fundada por Iwanami Shigueo (岩波茂雄) el 5 de agosto de 1913. Su primera gran publicación fue la novela Kokoro, de Natsume Sōseki (夏目漱石), en 1914.

Su sede central se encuentra en el 2-5-5 de Hitotsubashi Chiyoda (Tokio).


岩波書店 
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2017年8月4日金曜日

カサ・フェリス ¿casa feliz?

昨日、隣の市の知多市で買い物をして家(常滑市)に帰る途中で以下のようなマンション(¿アパート?)が目に入ってきました。知多市岡田(¿大草?)の辺りです。


もしかしたら、casa feliz (幸せな家) ということかもしれませんね。

因みに、アパート(¿マンション?)はスペイン語では piso と言います。


casa スペイン語の単語

pd. 姉妹サイトに補遺を付けました。

Casa

2017年8月2日水曜日

永田寛定 歿 (1973) Nagata Jirosada Falleció.

永田寛定は、1963年2月の「世界短編文学全集月報5」に以下のように記しています。

パローハとアソリン

 スペイン文学とわたしとの関係はもう五十年を越える久しいものだが、その間にどれほどこの文学を日本へ紹介できたかと考えると、まことに僅かで、お恥かしい次第といわざるをえない。《事志と違う》という語の恨みを老残の身に痛感しつつ、今さらどうしようもないと諦めてはいるが、わが国におけるスペイン語の草創時代からいくばくも ない明治の末に、だれにも知らせずスペイン文学を味っていたことを思うと、その頃の感動がよみがえって、なぜこの道一すじに生きなかったかと悔まれもするのである。  
 わたしの場合、語学と文学を平行させて、右を歩いたり左を歩いたりしたのがいけなかったかもしれない。しかし、日本のスペイン語界の実情は、それ以外の歩き方をさせてくれなかったことも事実 である。わたしは戦後、教壇生活が一時ひまになったので、 宿願だった《スペイン文学の古典》に手をつけ、その翻訳も完成しかけていたのに、またまた語学に要望されて辞典の監修という仕事へ逸れ、そのために訳業から遠ざかること数年に及んだ。しかし、辞典の方が一くぎりついたし、今度集英社から懐かしいパローハとアソリンを受けもたされ たので、これを機会にスペイン文学へ戻るつもりでいる。
 さて、パローハとアソリンはわたしをスペイン文学の病みつきにならせた当の作家である。ふたりとも、いわゆる《九十八年代作家》の急先鋒として文学の新時代を作りあげただけでなく、その作品の質と量において、二十世紀の前半を代表する巨匠になった。生まれもパローハが一八七二年、アソリンが一八七四年だから、まず同じ頃と見てよい。ただ、パローハはパスコ種族の出で、スペインの最北端の人、アソリンは地中海に面する東南の州アリカンテの出生で、学生時代には互いに知るところなく、パローハの 処女作『暗い人生』を見たアソリンが感動して、自分たちの仲間に引き入れたと言われる。 以来ふたりの友情は変ることなく、その傾向もその文章もほとんど対照的に離れてゆきながら、よ い意味の刺激を常に与えあう間柄になったのである。アソリンの出世作は小品と感想の集
『ひなの町々』で、わたしがそのひとりの処女作と、もうひとりの出世作から四篇ずつを選んで、スペイン近代文学の基底となった写実主義を見てもらうことにしたのは、半世紀むかしの夢を見直したい思いにほかならないが、しか し、これらの短篇は、まだ若かった二巨匠がおのれを世に問いたい願いをこめて書いた作品だけあって、今日の読者にも新鮮で気持のいい印象を与えずにおかないことを、確信したからである。

 永田寛定は、この文執筆の3年前、1960年に Ernesto Mr. T の地元・愛知県の南山大学文学部西語科長に就任しています。

 上記の文執筆の十年後・1973年の夏,8月2日(44年前の今日)、88歳にて永眠しました。

Nagata Hirosada murió 永田寛定歿 (1973年)




アントニオ・ガルシア=グティエレス 『吟遊詩人』本日発売 El trovador (1836)の邦訳 Antonio García Gutiérrez

アントニオ・ガルシア=グティエレス 『吟遊詩人』
〈ロス・クラシコス〉 スペインのロマン主義演劇を、世界の最前線に押し出した名作。ヴェルディのオペラ化でも有名。

1836年、23歳で執筆した『吟遊詩人』El trovador 、スペインで初演。
1853年、ベルディがオペラ化し、ローマのアポロ劇場で『イル・トロバーレ』(吟遊詩人)として公演、大成功。
スペインのロマン主義演劇を、世界の最前線に押し出した名作。



【著者紹介】アントニオ・ガルシア=グティエレス(アントニオ ガルシア グティエレス)

スペインの劇作家。ロマン主義演劇の中心的存在。カディス県のチクラーナという町に生まれ、最初は郷里で医学の道を志しますが、天分は演劇にあると悟り、20歳で首都マドリードへ移住しました。雑誌の編集に携わりながら、23歳のときに書いた『吟遊詩人』El trovador (1836)が大成功を収め、文壇に不動の地位を得ました。初めて上演された戯曲が出世作であり代表作であるという希有な作家です。以後も戯曲を発表し続けましたが、『吟遊詩人』ほどの評価は得られませんでした。また、サルスエラと呼ばれるスペイン版オペレッタの台本も手がけました。後年はアメリカへ渡ったり、外交官としてヨーロッパの地を移り住んだりもしましたが、スペインへ戻ってからは考古学博物館や国立図書館の館長に任命され、最終的にはスペイン王立言語アカデミアの会員に選ばれました。他にも特筆すべき作品としては、ジェノバ公爵に反旗を翻すべく陰謀を企んだ人物を描く『シモン・ボカネグラ』(1843)、カタルーニャを舞台にした活劇『カタルーニャの報復』(1864)、16 世紀に起きたヘルマニアスの乱の首謀者を主人公にした『フアン・ロレンソ』(1865)などがあります。イタリアの作 曲家ベルディ(1813¬–1901)は1853年に『吟遊詩人』を、1857 年に『シモン・ボカネグラ』をオペラ化しています。

Valladolid で学んだ Ernesto Mr. T としては Es autor también de El duende de Valladolid (1846) ということも述べておきたいと思います。


Antonio García Gutiérrezスペイン文学

2017年8月1日火曜日

Mi loco corazón サリンジャー・真珠湾攻撃 My Foolish Heart 日本の踊り "Uncle Wiggily in Connecticut"

Basado en "Uncle Wiggily in Connecticut", un relato de J.D. Salinger, este exitoso melodrama inauguró la galería de mujeres dolientes en que se especializaría Susan Hayward. Su base argumental es el dilema de una mujer embarazada de un soldado que parte para el frente y que acaba casándose con otro hombre.



真珠湾攻撃のニュースが出て来ます。日本の踊りも出て来ます。