2019年9月30日月曜日

HOMBRES INTREPIDOS (果てなき航路1940 The Long Voyage Home) / 昨日の補遺等 / comer y beber / 日本語の標準型歴史 / Arranquemos con el idioma maravilloso

果てなき航路

The Long Voyage Home  元の英語版の中にもスペイン語が出てきます。



Segunda Guerra Mundial (1939-1945). Tras una noche de diversión en las Antillas, la tripulación del carguero SS Glencairn vuelve a la dura rutina y navega rumbo a Baltimore. El grupo es bastante heterogéneo: Driscoll es un irlandés de mediana edad, Ole Olsen, un joven granjero de origen sueco, y Smitty, un caballero inglés. Tras recoger una carga de dinamita, deben regresar a casa, pero la amenaza que suponen los submarinos alemanes, siempre al acecho, hará que tengan que vivir momentos de enorme tensión.

ロンドンに船籍をおくグレンケアーン号は、速力ののろい貨物船であるが、西インド諸島の基港に碇泊中も、上陸が許されないので船員ははなはだ不服である。古参水夫のドリスコルはひそかに上陸して、原住民の女たち(¡スペイン語を話す!)に果物篭の底に酒びんを隠して船に持参させ、水夫たちは酔いかつ踊りかつ殴り合った。船はアメリカの基港に着いたが、そこでは多量の弾薬を積込み、また上陸禁止となった。出帆直前に新参水夫スミッティは、脱船逃走を試みたが警官に捕えられて乗船させられた。2割5分の手当増額という船長の布告に、やや機嫌を直した船員たちはなかなか神妙に働いた。暴風雨に難航した時も水夫のヤンクが重傷を負うくらいに、皆は一所県命だった。船医もない小貨物船では手当のしようもなく、ヤンクは死んでしまった。船は燈火管制をして英国へ急いだが、スミッティが船長室で酒を盗んだのを、給仕のコッキーは机上にあった暗号帳を見たのだと思い誤る。それで彼はスパイと勘違いされ、大切にしている書類をドリスコルが皆の前で読むと、それはスミッティの妻からの手紙で、彼は酒でしくじった海軍将校のなれの果てと判明する。アイルランドも近づいた日、船はナチの爆撃機に襲われたが幸い爆撃を免れたが、機銃掃射でスミッティが殉職した。船はロンドンに着き、契約満期となったドリスコル、オルセン、コッキー、アクセル、ディヴィス等は勇んで下船した。皆はスウェーデンへ帰るオルセンに切符を買ってやり、陽気に飲んで騒いだ。船員を虐使するので評判の貨物船アミランダ号は、水夫が不足なのでポン引のクリンプにやみ取引を頼む。クリンプは正直そうなオルセンに目をつけ、夜の女フリーダに含めて、眠り薬を入れたビールをオルセンに飲ませる。そして皆が別室で騒いでる間にアミランダ号に連れ込むが、オルセンのオームに教えられドリスコル等は、アミランダ号にあばれ込んで眠っているオルセンを救い出す。ところが最後まで残っていたドリスコルは、船長の棒に打たれて倒れ、そのままアミランダ号は出帆してしまう。皆はオルセンをスウェーデン行きの船に乗客として乗り込ませたあと、ドリスコルと別れてしよ気ながら、グレンケアーン号に帰って来る。ドリスコルはアミランダに乗せられたよ、と聞いてドンキーマンは持っていた新聞を水に捨てた。アミランダ号イギリス海峡で雷撃されて沈没ーと新聞にはあった。オルセンは帰国、ドリスコル、スミッティ、ヤンクは死んだが、グレンケアーン号はまた船路についた。

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学問の秋です。¿スペイン語を楽しみませんか? 常滑を中心に知多半島内各地等でスペイン語レッスンをしているベテラン講師です。Alcalá de Henares 大学での教員コース受講などスペイン訪問歴33回、延べ3年半滞在。オリジナル教材の他、DELE の教科書(日本人学生にも分かりやすいと評判のもの)、ビデオ教材なども多数用意しています。あなたも alegría (歓喜) の言語・スペイン語を身に付け、人生を充実させませんか? 常滑市内 ☞ 70分3.000円〜。英語+スペイン語 両方学習希望という方もOKです。

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本日 LUNES 30 DE SEPTIEMBRE スペインに於ける闘牛開催予定

Guadarrama (Madrid) - Novillos de Monte de la Ermita para Fernando Flores, Marcos, Isaac Fonseca

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昨日(DOMINGO 29 DE SEPTIEMBRE)のスペインでの闘牛開催 (☜ 昨日、開催予定表を載せ忘れましたので)

Las Ventas (Madrid) - Toros de Victoriano del Río Cortés, Toros de Cortés, Núñez del Cuvillo, Juan Pedro Domecq y Toros de Parladé para Miguel Ángel Perera, Paco Ureña ☜ Ureña の oreja のみでした。

Real Maestranza de Caballería de Sevilla (Sevilla) - Toros de Daniel Ruiz Yagüe para Morante de la Puebla, El Juli, Ángel Jiménez

Úbeda (Jaén) - Toros de Zalduendo para Enrique Ponce, Cayetano, Ginés Marín

Corella (Navarra) - Toros de Victorino Martín Andrés y Los Maños para Paulita, Morenito de Aranda, Rubén Pinar

Pozoblanco (Córdoba) - Toros de Luis Terrón Díaz para Rui Fernandes, Diego Ventura, Lea Vicens

Llerena (Badajoz) - Toros y novillos de Juan Albarrán y Cayetano Muñoz González para Tomás Angulo, João Silva Juanito, Jesús Díez El Chorlo

Algemesí (Valencia) - Novillos de Los Espartales y José Luis Iniesta para Andrés Romero, Ana Rita

Arnedo Arena (La Rioja) - Novillos de Hdros. de Baltasar Ibán Valdés para El Rafi, Manuel Diosleguarde, Alejandro Mora

Mayorga de Campos (Valladolid) - Novillos de Raso de Portillo para David Gomes, Emiliano Gamero

Guadarrama (Madrid) - Novillos de El Parralejo para Rafael González, Francisco De Manuel, Antonio Grande

Torrijos (Toledo) - Novillos de Alcurrucén para Tomás Rufo, Jorge Molina, Álvaro Alarcón

Olmedo (Valladoli



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生きているか、我々は? vivir por completo su vida






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日本語の焦点 日本語「標準形」の歴史 話し言葉・書き言葉・表記 (講談社選書メチエ)

日本語の標準


標準語というと、我々は明治以降の、現在テレビのアナウンサー等がしゃべる言葉を思い浮かべてしまう。もともとは東京の山の手の言葉がひろまって、今の標準語になったのだろう、と。しかし、本書では、江戸期以来、一貫して日本語には標準語があった、と考える。これを、明治以降のあの「標準語」と区別して、「スタンダード」と呼ぶことにする。東京語が標準語になったのではない。「スタンダード」が、東京語をつくったのだ!             

「スタンダード」とは本来は標準語のことである。しかし、「標準語」というと、たいていは、明治以降の「標準語」を思い浮かべるだろう。現在、アナウンサーがしゃべっている言葉、東京山の手の言葉などと言われるあの言葉だ。
ところが、本書では、江戸期以来、一貫して「話し言葉の標準形態」つまり「標準語」があったと考えている。これを、一般にイメージされる「標準語」と区別して「標準形(ルビ:スタンダード)」と呼ぼう。
書き言葉にも、標準形があった。これも、歴史をたどれば、室町時代までさかのぼる。
書き言葉を書く際の表記にも、標準形はあった。
これも、明治維新と供に成立したものではない。いわゆる、仮名遣いの問題である。
時折言われるように、歴史的仮名遣いは正しいのだろうか。
いや、江戸期には、もっと多様で柔軟な表記を許すスタンダードがあった。

このようにして、「スタンダード」と言うことを軸として、本書は話し言葉、書き言葉、仮名遣いの歴史に分け入っていく。
豊饒な言葉の世界を堪能してください。             





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明日からもう10月。学問の秋です。¿Ernesto Mr. T と言葉の勉強を楽しみませんか? 常滑を中心に知多半島内各地等でスペイン語レッスンをしているベテラン講師です。Alcalá de Henares 大学での教員コース受講などスペイン訪問歴33回、延べ3年半滞在。オリジナル教材の他、DELE の教科書(日本人学生にも分かりやすいと評判のもの)、ビデオ教材なども多数用意しています。あなたも 人間愛と笑い・ユーモア の言語・スペイン語を身に付け、人生を充実させませんか? 常滑市内 ☞ 1時間2.500円〜。英語+スペイン語 両方学習希望という方もOKです。




2019年9月29日日曜日

「スペインかぜ」なる怪しくも美しい名(岸田國士) la gripe española / Loewe フードコート / 闘牛生中継 novillada desde Torrijos (Toledo) 闘牛スペイン Tomás Rufo 登場 \ Lladró torero \ Perera, 4 trofeos / Tendido cero


闘牛生中継

一昨日 Las Ventas (Madrid) で puerta grande を開いた Tomas Rufo 登場です。


Castilla la Mancha Media
Domingo 29 de septiembre: 17:30 (日本時間深夜〇時半) Novillada desde Torrijos (Toledo) con Tomás Rufo, Jorge Molina y Álvaro Alarcón frente a toros de Alcurrucén. ☞ https://www.cmmedia.es/en-directo/tv/


 Tomás Rufo, puerta grande (Ventas, Madrid)  






pd. この DOMINGO 29 DE SEPTIEMBRE スペインでの闘牛

Las Ventas (Madrid) - Toros de Victoriano del Río Cortés, Toros de Cortés, Núñez del Cuvillo, Juan Pedro Domecq y Toros de Parladé para Miguel Ángel Perera, Paco Ureña
Real Maestranza de Caballería de Sevilla (Sevilla) - Toros de Daniel Ruiz Yagüe para Morante de la Puebla, El Juli, Ángel Jiménez
Úbeda (Jaén) - Toros de Zalduendo para Enrique Ponce, Cayetano, Ginés Marín
Corella (Navarra) - Toros de Victorino Martín Andrés y Los Maños para Paulita, Morenito de Aranda, Rubén Pinar
Pozoblanco (Córdoba) - Toros de Luis Terrón Díaz para Rui Fernandes, Diego Ventura, Lea Vicens
Llerena (Badajoz) - Toros y novillos de Juan Albarrán y Cayetano Muñoz González para Tomás Angulo, João Silva Juanito, Jesús Díez El Chorlo
Algemesí (Valencia) - Novillos de Los Espartales y José Luis Iniesta para Andrés Romero, Ana Rita
Arnedo Arena (La Rioja) - Novillos de Hdros. de Baltasar Ibán Valdés para El Rafi, Manuel Diosleguarde, Alejandro Mora
Mayorga de Campos (Valladolid) - Novillos de Raso de Portillo para David Gomes, Emiliano Gamero
Guadarrama (Madrid) - Novillos de El Parralejo para Rafael González, Francisco De Manuel, Antonio Grande
Torrijos (Toledo) - Novillos de Alcurrucén para Tomás Rufo, Jorge Molina, Álvaro Alarcón
Olmedo (Valladolid) España - Novillos de Los Requiles para Sergio Domínguez

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一昨日の Abrán (Murcia) で Perera が cuatro orejas という gran victoria を飾りました。




Abarán (Murcia). Casi lleno. Toros de Santiago Domecq, correctos de presentación y juego desigual. El 2º, premiado con la vuelta al ruedo. Enrique Ponce, oreja y oreja; Miguel Ángel Perera, dos orejas y dos orejas; y Paco Ureña, palmas y dos orejas.




https://www.cmmedia.es/programas/tv/toreros-historia-y-arte/

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 年久しくその名を聞き、常に身辺にそれらしいものゝ影を見ながら、未だ嘗てその正体をしかと捉へることの出来ないものに、風邪かぜがある。
 風邪は云ふまでもなく一種の病である。多くは咽喉が荒れ、咳が出、鼻がつまり、頭が痛み、時には熱が上り、食慾進まず、医師の手を煩はす場合が屡々ある。
 凡そ今日では、病気の数がどれくらゐ殖えたらうか。病名がきまつて、病原のわからぬものも随分あると聞いてゐるが、病原がわかつても、予防ができず、予防はできても治療できない病気の名などは、あまり耳にしたくないものである。
 さて、風邪のことになるのだが、私は、医学上、此の病気がどう取扱はれてゐるか知らないし、何々加多児かたるといふのは風邪の一種だなど聞くと、もう興味索然とするので、風邪は飽くまでも風邪又は感冒なる俗名で呼ぶことにする。
 ――なんだ風邪か。
 ――風邪、風邪つて、油断はならない。
 実際、風邪くらゐで大騒ぎをする必要はないといふしりから、風邪がもとで死んだといふ話をして聞かせる奴がある。
 尤もかの流行性感冒といふ曲者は、近時、「スペインかぜ」なる怪しくも美しい名かざして文明国の都市を襲ひ、あつと云ふ間に、幾多の母や、夫や、愛人や、子供や、女中の命を奪つて行つた。同じ死神でも虎列剌これらや、黒死病ぺすとと違ひ、インフルエンザといへば、なんとなく、その手は、細く白く、薄紗を透して幽かな宝石の光りをさへ感ぜしめるではないか。
 私も先年「恐ろしい風邪」を引いて、危く一命を墜とさうとした。
 ふらつと旅に出た、その旅先のことで、海岸の夕風に小半時間肌をさらしたのが原因だつた。それが、たま/\、さして懇意なといふでもないA氏の家で、三日間発熱四十度を下らないといふ始末なのである。そのまゝ、H博士の病院へ運ばれて、肺炎ときまり……その後は話すにも及ばないが、此の時の風邪で思ひ出すのは、そのA氏――画家にして詩人なるA氏の素人医学である。彼は自ら原始人を以て任じてゐるが、実は、近代的感受性と一種の唯物観とが極度にその生活を支配する趣味的ボヘミヤンの典型である。自ら帆走船を作り、フレムを工夫し、浴室を建て、マムシ酒を醸造し、家族の病気を診断し、手製の体温器を挟ませ、同じく手製のハカリを以て投薬し平然として快復を信じてゐる。種痘はペン先の古きを砥いで之を行ひ、注射の針は八回に及ぶも之を替へず、下痢止めには懐炉灰を飲ませ、細君のお産は三日目に床上げをさせるのである。
 此のA氏は私が病院にはいつても、度々見舞に来てくれ、H博士に様々な医学上の建言をしてゐたやうである。
 私は嘗て「奇妙な風邪」を引いたことがある。それは、台湾から香港ほんこんに渡る船の中である。当時の打狗たかおから香港まで、日本貨十円といふのが三等の賃金で、その代り、苦力くりいと同房の船底である。あんまりひどいと思つたが、我慢をすることにして、むしろの上に寝ころんでゐると、その晩、忽ち悪寒を覚え咽喉がかわき体温を計ると四十一度ある。
 船が厦門あもいに着く頃、とう/\一等に代る決心をした。ボーイの肩につかまつて、フラ/\と甲板を歩いて行く寝巻姿の私を、支那の苦力たちは笑ひながら見てゐた。
 其処は一等船室である。莚の代りに、純白のベットがあり、花瓶には花があり、水差には水があり、もうそれだけで、私は気持が爽かになるのを覚え、頭は急に軽くなり、熱は三十六度代に下つてゐた。
 香港に着く前には、甲板を大股に歩きながら、船底の熱病を忘れてゐた。
 処で、面白いことには、初めから一等を買へば全部で三十円なのを、厦門から一等に代つたゝめ、支那銀で二十両支払はなければならず、当時の為替相場で、日本貨四十円である。かういふ種類の損害は何時までも記憶を去らないものと見える。

 夜遅く巴里ぱりーの裏通を歩いてゐると、一種独特な臭気が、何処からともなく鼻をついて来る。それが多くは、冬または冬に近い季節の夜である。
 私は、いまだに、その臭気が何物の臭であるか、わからずにゐるのだが、それは多分煙草のヤニと、牛の血と、バタの腐つたのと、洗濯物と、それらの混合した臭ではないかと思つてゐる。一口に云へば、それが巴里のかの有名な下水の臭かもわからない。
 その臭も、日本に帰つてから可なり長く臭がないので、自然忘れてしまつたところ、近頃、ふとその臭を思ひ出したのである。思ひ出したといふよりも、その臭と同じ臭が、私の鼻をかすめたのだ。なんの臭だらう。さう思つて、あたりを見まわして見るが、その臭は、何処から臭つて来るのでもなく、実は自分の鼻の孔に籠つてゐるらしいのである。
 私は、鼻をくん/\云はせて、この不思議な「臭の幻覚」を追ひ払はうとしたが、全く無駄であつた。
 それはたしかに、あの栗焼きの店が出る頃の、人通の絶えたリユウ・デユトオの臭である。更にまた、外套の襟に頤を埋めた無帽の少女が、最後の廻れ右をするオヂオン座横の露路の臭である。
 かういふ不思議な現象が、最近五、六度もあつたらうか。いろ/\研究の結果、それは私が多少とも風邪を引いてゐる時に限るといふ奇妙な事実を発見したのである。
 私は、今また風邪を引いてゐる。そして、幾冬かの間嗅ぎ慣れたかの巴里の夜の臭を、今、懐かしく嗅ぎ直してゐる。
 さうだ。今でこそ懐かしいなどと云つてゐるが、その臭は、私の過去を通じて、最も暗く、最も冷たい放浪時代を包む呪ふべき臭だつたのである。
 風邪と巴里とが結びついた序に、巴里で風邪を引いた時のことを考へ出して見る。
 いよ/\伊太利いたりーつといふ間際に、発熱三十九度何分といふ騒ぎで、同行のH少佐を少からず心配させた。
 それでも、病を押して、陸地測量部で開かれる聯合国々境劃定委員準備会議に出席したにはしたが、タクシイの中で眩暈めまひがしてしやうがない。
 宿に帰り、寝台に横はつてゐると、H少佐はY博士を伴つて見舞に来てくれた。
 発てるか発てないかといふ問題である。
 ヴエロナで、各国の委員が落ち合ふ日取は、今日、決まつたばかりである。其処では重大な会議が開かれる筈である。
 私は、どんなことがあつても、行くと云ひ張つた。
 幸ひに、リヨン停車場を発つ朝は、熱が下がつてゐた、しかし、からだは極度に衰弱してゐる。小さな手提鞄が死体のやうに重かつた。
 ヴエロナの宿は古い大理石の建物である。日が暮て、窓に倚ると、誂へたやうにギタアの音が聞こえて来る。恐ろしく咽喉が渇く。脚が顫える。瞼が重い。ふと、ロメオとジユリエツトの墓が此の町にあることを思ひ出す。さつき通りがけに見たアレナの廃墟が不気味な姿で眼の前に浮かんで来る。
 ――いけない。やつぱりおれは熱がある。
 かうして、私は、その翌日、自動車でガルダ湖の周囲をドライヴし、翌日は三時間に亘る委員会に列席し、その夜はタイピスト嬢に十枚の意見書を筆記させ、三日目には、チロル、アルプスの麗、メラノの小邑に向つて長途の自動車旅行をやつてのけた。
 真夏の空に輝く千年の氷河を眺めて、私の風邪は何処へやらふつ飛んでしまつた。

 今年の二月、私は満二年の療養生活をへやうとする最後の時期に、M博士の所謂試験的感冒に罹つた、これを無事に切り抜ければ胸の方は全快といふ折紙がつくわけである。
 例の海岸の発病以来、絶対に「風邪を引くこと」を禁じられてゐた窮屈な生活から、いよ/\解放される時が来たのだ。
「もう、いくら風邪を引いてもいゝ」――なんと愉快な宣告ではないか。

 ある西洋人が、日本に来て、「日本人は何時でも、みんな風邪を引いてゐる」と云つたさうである。
 なるほど、さう云へば、さうかも知れない。第一、日本人の声は大体に於て、西洋人が風邪を引いた時の声に似てゐる。
 第二に、日本人くらゐ痰を吐く人種は少い。
 第三に、劇場や音楽会や、いろ/\の式場などで、日本ぐらゐ咳の聞こえるところはない。いよ/\始まるといふ前に、先づ咳払ひをして置く。一段落つくと、あゝやつと済んだといふ咳払ひをする。芝居なら、幕の開いてゐる間でも、一寸役者のせりふが途切れると、あつちでもこつちでも咳をする。
 私の知つてゐるある婦人は、なんでも静かにしてゐようと思ふと自然に咳が出るさうである。つまり、呼吸いきをこらすと咽喉がむづ/\するんだらう。これなどは、生れながら風邪を引いてゐる証拠である。
 今年は私もせいぜい風邪を引かう。




La epidemia de gripe de 1918 (también conocida como la gran epidemia de gripe o la gripe española) fue una pandemia de gripe de inusitada gravedad. A diferencia de otras epidemias de gripe que afectan básicamente a niños y ancianos, muchas de sus víctimas fueron jóvenes y adultos saludables, y animales, entre ellos perros y gatos. ​Es considerada la pandemia más devastadora de la historia humana, ya que en solo un año mató entre 40 y 100 millones de personas.​ Esta cifra de muertos, que incluía una alta mortalidad infantil, se considera uno de los ejemplos de crisis de mortalidad.8​

En Estados Unidos la enfermedad se observó por primera vez en Fort Riley (Kansas) el 4 de marzo de 1918, aunque ya en el otoño de 1917 se había producido una primera oleada heraldo en al menos catorce campamentos militares.​ Un investigador asegura que la enfermedad apareció en el Condado de Haskell, en abril de 1918. Y, en algún momento del verano de ese mismo año, este virus sufrió una mutación o grupo de mutaciones que lo transformó en un agente infeccioso letal; el primer caso confirmado de la mutación se dio el 22 de agosto de 1918 en Brest, el puerto francés por el que entraba la mitad de las tropas estadounidenses Aliadas en la Primera Guerra Mundial.​ Recibió el nombre de gripe española porque la pandemia recibió una mayor atención de la prensa en España que en el resto de Europa, ya que ese país no se involucró en la guerra y por tanto no censuró la información sobre la enfermedad.

Con el fin de estudiar la pandemia de gripe, los científicos han empleado muestras de tejido de víctimas congeladas para reproducir el virus.​ Dada la extrema virulencia del brote y la posibilidad de escape accidental (o liberación intencionada) de la cuarentena, hay cierta controversia respecto a las bondades de estas investigaciones. Una de las conclusiones de la investigación fue que el virus mata a causa de una tormenta de citocinas, lo que explica su naturaleza extremadamente grave y el perfil poco común de edad de las víctimas.

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ヘミングウェイ全集フォークナー全集









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2019年9月28日土曜日

Marcello Mastroianni nació マルチェロ・マストロヤンニ誕生(1924) / Tomás Rufo, puerta grande (Ventas, Madrid) / Prosper Mérimée nació メリメ誕生(1803) / comer y beber 飲食 / Alain Robbe-Grillet アラン・ロブ=グリエ

マルチェロ・マストロヤンニマルチェロ・ヴィンチェンツォ・ドメニコ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni, 1924年9月28日 - 1996年12月19日)は、20世紀のイタリアを代表する映画俳優。

Marcello Vincenzo Domenico Mastrojanni (Fontana Liri, 28 de septiembre de 1924-París, 19 de diciembre de 1996), más conocido como Marcello Mastroianni, fue un actor italiano. Dentro de sus películas más destacadas se incluyen La Dolce Vita, 8½, La Notte, Divorcio a la italiana, Ayer, hoy y mañana, Matrimonio estilo italiano, La 10ma Víctima, Un día especial, Ciudad de mujeres, Enrique IV, Ojos negros y Stanno tutti bene. Sus honores incluyen los Premios de la Academia de Cine Británico, los Premios al Mejor Actor en el Festival de Cine de Cannes y dos Premios Globo de Oro.
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Prosper Mérimée, conocido también como Próspero Merimée (París, 28 de septiembre de 1803 – Cannes, 23 de septiembre de 1870) fue un escritor, historiador y arqueólogo francés. Es autor de la novela corta Carmen, que sería inmortalizada en la famosa ópera homónima de Georges Bizet.

CARMEN (Cartas de España. Una corrida de toros. Pena capital)


CARMEN (Cartas de España. Una corrida de toros. Pena capital)






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【アラン・ロブ=グリエ Blu-ray BOX Ⅱ】
本日9月28日発売
〈ヌーヴォー・ロマン〉を代表する作家にして、前衛的な映画監督としても評価の高いアラン・ロブ=グリエ監督の初のカラー作品『 エデン、その後』 をはじめ、『Nは骰子を振った…』 『快楽の漸進的横滑り』 『囚われの美女』 を収録。
3枚組 18,576円
※DVD版 分売あり 各5184円


Alain Robbe-Grillet

アラン・ロブ=グリエ(Alain Robbe-Grillet, 1922年8月18日 - 2008年2月18日)は、フランスの小説家・映画監督。ヌーヴォー・ロマンの代表的作家とされる。

Alain Robbe-Grillet (Brest, Bretaña; 18 de agosto de 1922-Caen, Normandía; 18 de febrero de 2008) fue un escritor y cineasta francés. Fue el principal teórico y animador del movimiento literario llamado nouveau roman (traducido como nueva novela).

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本日 SÁBADO 28 DE SEPTIEMBRE スペインに於ける闘牛開催予定

Las Ventas (Madrid)Daniel Luque, Juan Leal y Juan Ortega. (Puerto de San Lorenzo y La Ventana del Puerto).

Real Maestranza de Caballería de SevillaEnrique Ponce, El Cid y José María Manzanares. (Victoriano del Río y Toros de Cortés).

Pozoblanco (Córdoba)Manuel Escribano, David Galván y Román. (Manuel Blázquez).

Tragacete (Cuenca) – Javier Antón, Santiago Mújica “El Sargento del Perú” y el novillero Sergio López, que debutará con picadores. (Juan Albarrán).

Algemesí (Valencia) – Miguelito y Miguel Polope. (Novillos de Alejandro Talavante).

Sanlúcar de Barrameda (Cádiz) – El novillero con picadores Eloy Hilario y los becerristas Eloy Sánchez y Germán Vidal “El Melli”. (Chamaco).

Soria – Leonardo Hernández, Joao Moura hijo y Mario Pérez Langa. (La Castilleja).

Villarrubia de Santiago (Toledo) – Emiliano Gamero y Óscar Mota. (Novillos de Laura Velasco).

Mayorga – Festival. Morenito de Aranda, Julio Benítez, Juan del Álamo y el novillero Diego García. (El Pilar).

Tornadizos de Ávila (Ávila) - Novillos de El Capea (antes Pedro y Verónica Gutiérrez Lorenzo) para José María Martín




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昨日の Las Ventas (Madrid) の novillada で puerta grande がありました。

Madrid, viernes 27 de septiembre de 2019. Novillos de Fuente Ymbro, bien presentados, destacaron 2° y 5°, también la humillación del 1° aunque duró poco. El Rafi, silencio y silencio; Tomás Rufo, oreja y oreja con petición de la segunda y dos vueltas al ruedo; Fernando Plaza, silencio y ovación tras aviso. Entrada: Dos tercios (Más de media entrada).







Tomás Rufo



Nombre: Tomás Rufo Resino
Fecha de Nacimiento: 08/07/1999
Localidad de Nacimiento: Talavera de la Reina
Provincia de Nacimiento: Toledo
Pais de Nacimiento: España


Datos biográficos: Debut con Picadores: Novillero
Fecha: 13/05/2018
Plaza: Talavera de la Reina (Toledo)
Ganadería: Fernando Peña
Cartel: Toñete y Marcos
Nombre de res: ‘Habanito’, nº 151, mulato bragado.
Resultado artístico: Oreja y oreja.

Presentación en Madrid:
Fecha: 18/07/2019
Ganadería: José Cruz
Nombre de res: Nº 76. ‘Travieso’. Negro bragado. 475 kg.
Cartel: Emilio Silvera y Alfonso Ortiz.
Resultado artístico: Oreja y ovación tras aviso. Sufrió una luxación en el hombro tras ser cogido por el tercero.
Vestido: Azul noche y oro.

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ビールは子供の飲み物だった (古き良きスペイン) La cerveza era una bebida para niños