☝Brideshead Revisited Retorno A Brideshead
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...que toda la noche de ayer fue
un sueño.
夢
森鴎外
カントが発狂の階梯だと恐れた夢を自身に検究する事に再び着目したるは、新約克のジユリウス、ネルソン Julius Nelson です、既に記録した夢の数は四千あつて、短いのは一語で写され、長いのには百語を費す、ネルソンは夢を区別して晩夢、夜夢、朝夢の三としたり、晩夢は疲労の日に継ぐもので、大抵日業の継続から
次にネルソンは夢記の単複で夢の劇易を測り、これを弧に作つて見たに二十八日毎に弧線が跳上する、二十八日は即ち太陰暦の月に当る、然し真の月輪満虧には関係せずネルソンは是れを以てハムモンド Hammond の曾て信じた「男子月経」 Katamenia masculina の明証と云へり。
この消長はまた一年の中にも見えて三四月の弧線は尤も低く十一、十二月は尤も高し(Americ. Journal of Psychol., I, 3.)
これと趣を異にしたるものはニツツアーの人マカリオ Macario が病人の夢の検究なり未だ閾を越えて識界に入らざる痛楚、不仁等も眠つて居る間休む調停作用のお蔭で夢に顕はれる即ち所謂病兆夢 Prmonitorische Trume なり、――両足が石に成つた夢を見た跡から脊髄的の両下脚麻痺が起り、夢に犬に噬まれたと思つた所に跡で癰が呈はれ、右の腹に刀を刺された夢を度々見た跡で肝膿瘍が知れ、腹の上へ鷲鳥が下りた夢の跡で腸窒扶斯が発し、沈溺縊首の夢は屡々真の呼吸困難に先つ、また発狂前にも種々の夢を見る――其外既に発した病は症に随て夢を殊にす、鬱憂家の夢は悲むべく、躁狂家の夢は誇張し、痴狂家の夢は稀疎にして飄忽たり、
comquibus (cf. din)
Del lat. cum quibus 'con los cuales'.