2019年9月25日水曜日

escalafón / lobo en Europa / ロジェ・カイヨワ 『蛸』本日復刊 pulpo / フランク・ノリス 『マクティーグ』明日刊 / エスペラントの話 esperanto / Afición nipona (hace 6 añps)


いつの間にか、Perera が1位になっていました。

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本日 MIÉRCOLES 25 DE SEPTIEMBRE スペインに於ける闘牛開催予定

Logroño "La Ribera" (La Rioja) - Toros de El Parralejo para El Cid, Juan Leal, Luis David Adame

Algemesí (Valencia) - Novillos de Puerto de San Lorenzo y La Ventana del Puerto para Alejandro Mora, Tomás Rufo

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Takeuchi Junji, "Ernesto" en España


Afición nipona


☝ hace seis años 6年前





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欧州に戻るオオカミ。「汚名返上」を果たせるか


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本日9月25日刊(前回告知の9月18日より1週間遅れました)
ミシェル・パストゥロー 『図説 ヨーロッパから見た狼の文化史 古代神話、伝説、図像、寓話
ギリシア・ローマ・ゲルマン・北欧・ケルト神話や博物誌、人狼伝承、聖人信仰、エンブレム(紋章)、古典的な造形表現、寓話・童話、民間伝承、俗信、言語表現などに登場する、狼の社会的・象徴的・歴史的意味とその変容を、数多くの貴重な図像解読する名著。蔵持不三也訳
(原書房)


lobo


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pulpo


Madrid の 蛸屋の看板 ☝ Sol から San Jerónimo 通へ行く。

本日9月25日復刊
ロジェ・カイヨワ 『蛸 想像の世界を支配する論理をさぐる
日本では食卓に並ぶおなじみ蛸が、なぜ西欧では海の魔物となったか。蛸に関するイメージの変遷を、北欧神話やロマン主義文学、日本の春画などからさぐるロジェ・カイヨワのユニークな思索。カイヨワの思想史をたどる充実した解説付き。塚崎幹夫訳。中央公論社蛸―想像の世界を支配する論理をさぐる (1975年) の復刊(青土社)






Pulpo a la gallega ガリシア地方流タコ(料理)

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蛸と言えば

Frank Norris nació. フランク・ノリス 生まれる(1870年)


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そして、

明日9月26日刊
フランク・ノリス 『マクティーグ サンフランシスコの物語
〈ルリユール叢書〉 突如その男の内側に住む獣が身をもたげ、目を覚ました。ゾラをも凌ぐアメリカ自然主義の、最高の宿命小説。シュトロハイムに映画 『グリード』 を作らせた、ノワール文学の先駆的作品。高野泰志訳(幻戯書房)





LA TAURINA その2


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エスペラントの話

二葉亭四迷


 エスペラントの話を聴きたい、よろしい、やりませう。しかし先月の事だ、彩雲閣から世界語といふ謂はゞエスペラントの手ほどきのやうなものを出した、あの本の例言に一通り書いて置いたが、読んで下すつたか。え、まだ読まない、困つたねえ、ぢや仕方がない、少し重複になるが、由来からお話しませう。と云つて何もむづかしい由来がある訳ではないが、つまり必要は発明の母ですね、エスペラントの発明されたのも畢竟ひつきやう必要に促されたに外ならんので、昔から世界通用語の必要は世界の人が皆感じてゐた、で、或は電信の符号のやうなものを作つて、○と見たら英人はサンと思へ、独逸人はゾンネと思へさ、ね、日本人なら太陽と読めと云つたやうな説もあつたが、そんな無理な事は到底行はれん。そこで、現在の各国に国語中一番弘く行はれてゐる英語とか仏語とかを採つて国際語にしたらといふ説も出たが、これも弊が多くて困る、成程なるほど英語が国際語になつたら英人には都合が好からうがそれでは他の国民が迷惑する。仏語でも独逸語でも其通り、夫に各国人皆それ/″\に自尊心といふものが有るから、余所よその国の言葉が国際語になつては承知せん、何でも自分の国の言葉を採用しろと主張する、到底とても相談のまとまる見込はない、そこで是はどうでも何か新しい言語ことばを作つて、それを一般に行ふより外手段はないとなつて諸国の学者は此方面でいろ/\工夫してゐる中に、千八百八十二年といへば明治十二ママ年に当りますかね、其年にウォラビュックといふ新発明の国際語が出来た、かの符号などから視れば余程気がいてゐるけれど、惜しい事には余り人為的で、細工に過ぎてゐて之を人情風俗の違ふ各国人の口へ掛けたら、どうやら支離滅裂になつてしまひさうで、どうも申分が多いが、外に之に代るべきものもないから、一時は相応に研究する者もあつた、我国でも読売新聞が其文法を飜訳して附録にして出したことがあるから或は研究した人もあるでせう、しかし何国どこでも未だ弘く行はれるといふ程に行かぬ中、千八百八十七年、即ち明治十八ママ年になりますかな、其年の末に初めて所謂いはゆるエスペラントが世におほやけにせられた。之は露国ワルソウの人だからつま波蘭人ポーランドじんだ、其波蘭人のドクトル、ザメンコフといふ人の発明で、かのウォラビュックなどから視ると、遙かに自然的で無理が少ないから、たちまちの中に非常な勢で諸国に弘まつた。今では世界中で亜細亜や阿弗利加を除いては到る処にエスペラント協会が出来てゐて、其教科書は各国語に飜訳されてある。私が始て浦潮斯徳ウラジオストックでポストニコフといふ人からエスペラント語を習つた時にも、同氏から此語が欧米で盛に研究されつゝある話を聴いたことがあつたが、当時は仔細あつて私の心は彼に在つてこゝに無しといふ有様で、好加減いゝかげんに聞流して置いたが、其後北京へ行つて暫らく逗留してゐると、或日巴里パリから手紙が来た、巴里に知人はないがと怪しみながら封を切つて見ると、エスペラント語で日本に於けるエスペラント流布の状況が聞きたいといふ意味の事が書いてある。署名は仏人の名だが一向知らない人だ。さてはエスペラント協会員だなと心附いたから、日本では一向まだ駄目だといふ返事を出して置いたが、戦争前帰朝すると間もなく又墨西哥メキシコの未知の人から矢張エスペラント語で絵葉書の交換を申込んで来た、成程教科書は西班牙語スペインごにも飜訳されてあるから墨西哥にエスペランチストのあるに不思議はないが、それでも其葉書を手にした時には、実に意外の感に打たれましたよ、といふものでエスペラントは今では思ひ掛けない処にまで弘まつてゐるから、エスペラントは確かに世界通用語になりつゝあるものとつてよろしい。安孫子あびこ君の報道でみると、倫敦ロンドンの商業会議所ではエスペラントを書記の必須科目にしてゐるさうだ、又黒板博士の話では倫敦の或るステーションにはエスペラントのガイドが居ると云ふ、かれこれ思ひ合せればエスペラントは或一部の人の想像するやうなユートピヤではない、既に世界の人から国際語として存在の価値あることを認められて現に応用されつゝあるものだ。
 発明後わづか二十年つか経たぬ中に此通り弘まつたのは、一方から言へば人間の交通が益々頻繁になつて世界通用語の必要が切に感ぜられることを証拠立てると同時に、一方に於てはエスペラントなるものが此需要を満足する恰好かつかうの言語であることを証拠立てるとまあいふべきでせう。まあ試みにやつて御覧、それは造作もないものだ。文法は僅か十六則で、語根が一千語内外、それはあの「世界語」の終に載せた字書に残らず収まつてゐるから、あの字書さへあれば、十六則の文法を便りにして、一寸本も読めれば、会話も出来、手紙もかける、格別研究する必要もない位のものだ。論より証拠、かういふ私は浦潮でポストニコフといふ人から習つたと云つても唯アルファベットの読み方を教へて貰つたゞけの事で其外何も習つたのでない、しかもアルファベットも習ひ放しで、いろ/\忙がしかつたものだから、教科書は鞄の中へ放り込んだまゝツイのぞいてみた事もなかつたが、北京で仏人の手紙が届いた時、字引を引き/\読んでみると造作もなく分つた、分る事は分つたが返事が書けるかしらと、何しても此時初めてエスペラント語で書いたものを読んで見たのだから、内々危ぶみつゝ文法を読み読み、字引をり/\やつてみると、手紙もまた造作もなく書けた、もつとも余り名文でもなかつたかも知れぬが、兎に角意味の通じる程には書けた積りだ。これは私ばかりではない誰でもうなので、現に此間も去る友人から「世界語」を一部送つてくれろと言つて来たから送つてやると、直ぐエスペラントで小版三頁程の手紙を寄越よこした、尤も此友人は倫敦に永く居た人で英文に堪能である所為せゐもあらうが、中々巧く書いてある、してその言草が好いぢやないか、エスペラントの容易やさしいのには驚いたトかうだ。が、実際その通りで驚く程容易しい、此通り誰でも研究といふ程の研究はせずとも、文法の十六則に一通り目をとほしさへすれば、一寸文章も書ける。こんな容易しい言語が世の中に又と有らうと思へぬ。さう容易しくては複雑な思想は言顕いひあらはせまいと思ふ人もあらうが、ところがうでない。かの「世界語」の終りに載せた世界語既刊書目を見ても分るが、既にシェークスピヤのハムレットもエスペラントの飜訳になつてゐる、ヂッケンスのクリスマス、キャロルも飜訳になつてゐる、ハイネ、ゲーテの詩も飜訳されてある、バイロンも、プーシキンも、トルストイもシンキーウ※[#小書き片仮名ヰ、377-上-13]チも飜訳されてある、私が曾て苅心かるしんと署名して四日間といふガルシンのスケッチを反訳して新小説に出したことがあるが、あんなものまでう反訳されてある。是は皆美文だが、哲学書にしてもライプニッツのモナドロギイが反訳になつてゐる位だから、およそ今の人間の言語で言顕はす事は、どんな事でもエスペラントで言はれぬといふことはない、それでゐてほとんど研究といふ程の研究をせんでも分るのだから、それからしてもエスペラントの将来は実に多望だ。十年二十年と経つたら、今より数十倍応用の範囲が弘まり、五十年も経つたら、各国の小学校の必須科目になるかも知れん、現に既に必須科目にしてゐる地方もある位だから、そりや然ういふことになるかも知れん、私はエスペラントの将来に就いては大のオプチミストだ。
 まだ/\エスペラントに就いては大分言ひたい事がある、英語は今では日本にも大分弘まつてゐるやうではあるが、しかしまだ/\知らない人も多いだらうからさういふ謂はゞ外国語を習ひ後れた人には、是非エスペラントを勧めたい、それから英語なり独逸語なり、現在の外国語になると、何程手に入つたといつても、書いたものを直ぐ出版するといふことの出来る人は少からう、多くは是非一度英人なり独逸人なりに筆を入れて貰はなければ、安心して出版は出来まい、ところがエスペラントは何国どこの言葉といふのでないから、同じ文法に依つて、同じ言葉を使ひながら、各国皆其スタイルが違ふやうだ、たとへば英人は英語を、独逸人は独逸語を、仏人は仏語をそれ/″\エスペラントに引直して用ゐるから、英人のエスペラントには英語の臭味くさみがあり、仏人は仏語、独逸人は独逸語の臭味がある。だから日本のエスペラントは日本語の臭味があつたとて一向差支さしつかへないと思ふ。これは非常に都合の好い話だから、願はくば多数の力でエスペラントの日本式スタイルを作つて、日本語の精神でエスペラントを使つて世界の人を相手にドシドシ著作の出来るやうにしたい。此外まだ言ひたい事は沢山あるけれど、まあ、此位で止めて置かう。
(明治三十九年十月)


esperantoエスペラント

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