ショセ・ルイス・メンデス・フェリンは1938年の今日、8月7日、スペインはオレンセで生まれました。ガリシア文学の最も代表的な作家であると言われています。
(ショセ Xosé は カスティージャ語[俗に言うスペイン語]では José ホセ に相当します。)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で哲学を学び、1956年にはミネルバ祭の文学コンテストで1位に輝きました。ガリシア民族主義運動に関わるようになり、1958年にガリシアの文化的集団、ブレイス・ピント設立の手助けをしました。1964年、フェリンは左翼民族主義グループの結成も手伝い、1960年代には民族活動に深くかかわりました。
フランコ政権に目を付けられ、1967年から1980年の間、政治的活動により3度の身柄拘束を受けました。1967年には「違法なプロパガンダ」を制作した罪で逮捕、後にその嫌疑は取り下げられました。1969年、同様の罪で、懲役2年を宣告されました。1972年再び投獄された刑務所の中でエリベルト・ベンスのペンネームで執筆を始めました。1980年「Poesia enteira de Heriberto Bens(エリベルト・ベンスの詩集)」と題した架空の文学的冒険作品にフェリン自身の序文をつけ出版。1980年、武器の所持による罪でさらに収監され、3ヵ月間刑務所で過ごした後、無罪。
処女作「Voce na néboa(Voice in the Fog/霧の中の声)」は1957年に出版、初めての小説、「Arrabaldo do norte(Northern Quarter/北方地区)」は1964年に出版されました。その後、9つの詩集を出版、他にも数多くの小説や随筆を出版しています。フランコ政権下の大弾圧の時代にも急進的姿勢を崩さず、またガリシア語以外の言語を使用することを拒んでおり、様々な時代におけるガリシア人作家の中でも重要人物と評されています。
フェリンは現在も執筆を続け、政治活動に携わっています。彼はFaro de Vigo(ファロ・デ・ビーゴ)紙のコラムニストを務め、雑誌A Trabe de Ouro(ア・トラベ・デ・オウロ)の運営を行っています。ガリシア王立アカデミーの会員であり、ビーゴ大学の名誉学位も授与されています。
PEN International
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