2022年5月12日木曜日

"No le he entendido bien." Canciones Del Segundo Piso: Songs From The Second Floor | | With Subtitles (English, español) 散歩する惑星(2000 Sånger från andra våningen) César Vallejo / 堀田善衞『断層』/ 言語の壁

散歩する惑星(2000 Sånger från andra våningen)


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01:08:11,081 --> 01:08:13,024 前の席にいる年配のスウェーデン人が、斜め後ろの席の死刑となり死んでいる筈のドイツ人の青年にドイツ語で話し掛けられて。
- Disculpe, no le he entendido
bien. 



 

 

 

 スペイン語字幕版は以下の通り。

 

 散歩する惑星 (スウェーデンの: Sånger från andra våningen)は、2000年10月6日にスウェーデンの映画館に公開され、ロイアンダーソンによって書かれ、監督されたスウェーデンのブラックコメディドラマ映画です。この映画は、ペルーの詩人セサル・バジェホの作品からの多くの引用を繰り返しのモチーフとして使用しています。The film uses many quotations from the work of the Peruvian poet César Vallejo as a recurring motif.

散歩する惑星 (スウェーデンの: Sångerfrånandravåningen)は、2000年10月6日にスウェーデンの映画館に公開され、ロイアンダーソンによって書かれ、監督されたスウェーデンのブラックコメディドラマ映画です。それは、現代の生活の側面を一緒に調査する一連の切断されたビネットを提示します。この映画は、ペルーの詩人セサル・バジェホの作品からの多くの引用を繰り返しのモチーフとして使用しています。 - https://ja.wiki-3arabi.com/984753-songs-from-the-second-floor-AEWELJ

 






ciempiés (¿galimatías?)

 

堀田善衞が1952年に中国語の〈不在〉をテーマとして短編小説『断層』を発表したことは、彼の戦後の文学的人生において一つの転換点をなしているといえる。雑誌「改造」1952年2月号に掲載されたこの作品は、敗戦前後の上海に2年近く滞在した主人公の安野が、中国語を学ぼうとしながらも次々にその機を失っていく経緯が描かれている。それまで〈他者〉としての中国語を自作の言説空間から意識的に排除していた堀田善衞は、『断層』の執筆に至り、ようやく中国語の〈不在〉を真正面から問うことになる。一方で、『断層』以降、堀田は「上海シリーズ」の最終篇として長編『歴史』(新潮社、1953年)を書きつづけていたが、この作品では中国語はすでに〈不在〉から〈顕在化〉へと変わり、主人公の言表手段の一つとして位置づけられている。その意味でも〈他者〉としての中国語は、『断層』の成立によってはじめて堀田善衞の文学世界に市民権を獲得したと考えることができるし、『断層』が堀田の戦後文学を解読するために不可欠な作品である理由もその点にこそあると思われるのである。









安野(あんの)ははじめから中国語の勉強はあまり熱心でなかった。というのも、彼にとって中国へゆこうゆきたいという希望は、中国を踏台にして、あわよくばヨーロッパまでもいって みたいという、慾ばった気持とうらはらになっていたからであった。もちろん、昭和十九年と云えば、中国へゆくこともそろそろむずかしくなり出し、ましてそこからヨーロッパへゆくなどということは、どう考えても出来ることではなかったが、不可能であろうと何であろうと、当時恐らく人々は、各々何等かの意味で実現不可能な夢に導かれて生きていた筈である。 


・・・・・・・


第四回目の中国語勉強も、これでだめになってしまった。彼は買いだめた洋書類の上にちょこんとのっかった中国語教科書を眺め、また長いあいだぼんやり壁の世界地図を眺めていた。中国語はとうとうものにならなかったが、日本とヨーロッパしか念頭になかった彼の世界地図は完全に変貌していた。