2014年6月15日日曜日

人生が2度あれば (井上陽水)、そして父の日

本日は 父の日です。 Ernesto Mr. T の父は 30年前(1984年)の9月に 癌再発のため亡くなりました。60歳でした。今の Ernesto Mr. T と大して変わらない年齢です。

本日 拙ブログに載せる 井上陽水氏の「人生が2度あれば」の中の「父」は「65(歳)」です。井上陽水氏自身が 今 65(歳)です。(8月生まれだそうですから、間も無く 66(歳)。)

Ernesto Mr. T の父は、この歌の中に出て来る「父」と 余り似ていませんでしたが、せめて 65(歳)くらいまでは 生きていたらなあ、と最近ときどき思います。



人生が二度あれば   井上陽水 投稿者 Lemanco12424

pd, 上掲の vídeo が¿消えて?しまいましたので、以下のものを追加しました。2019-09-03㈫


戦死した2人の兄の方が優秀だったようで、祖母、つまり父の母からは「1番出来の悪いのが(生き)残った」などと酷いことを言われていたのを耳にしたことがあります。(叔母、つまり父の妹からも同様のことを何度も聞きました。)その息子としては複雑な思いでしたが、今思い返してみても 父が学問や(Ernesto Mr. T の)進学(問題)について話したことを聞いたことは1度もありません。Ernesto Mr. T が 一生懸命勉強に励んでいるときでも 近くで平気で 大音量でテレビを横になって観ているような父でした。



尋常高等小学校卒で(¿店の小僧など他の職業の後?) A という小さな陶器工場(土管工場)で働き、途中で身体を壊し(今考えてみれば精神的なものも大きかったのではないかと思います)、その工場を辞めてしまい、ただでさえ貧乏だった我が家は更に貧しくなりました。その後、趣味としていた小鳥の飼育を元に、小鳥店を始めましたが、立地条件も悪い上に それほど 商売熱心でもなかったので 殆ど売り上げも無く 母はとても苦労していました。

今 英語の講師をしている Ernesto Mr. T は 他の先生方の育った環境(¡教育熱心な親御さんばかり!)を聞く度に、その違いの大きさに 戸惑うこと屡々です。

そんな父(英語どころか abc もまとも読めなかった)でしたが、Ernesto Mr. T が ロシア(当時ソ連)やスペインへ夏期留学したことを他の人たちに度々自慢していたそうです。

余りの不甲斐なさに(亡くなるときも)忌み嫌っていた父ですが、そういった話を耳にしたり、Ernesto Mr. T 自身が歳をとったこともあり、今では 何故か せめて(井上陽水氏の歌にあるように)65歳くらいまでは生きていたらなあ、と思うこともあります。

そんな¿自慢の?息子 Ernesto Mr. T は今も夏になると海外研修(今はほぼスペイン)を続けています。「俺は勉強など駄目だったが、息子は外国まで行くんだ」と友だちに自慢している父...。

それに、TVでよくボクシングやプロレスを観ていた父、...若い頃には闘鶏なども好きだった父、... もし今生きていれば、Ernesto Mr. T が 興味を持っている corrida de toros 闘牛にも きっと関心を示すことでしょう。

残念ながら(¿貧乏の所為か興味もなかった所為か?)我が家にはカメラというものが在りませんでした。そして父との写真が残念ながら1枚も無いのです。

唯一同一画面にあるのが以下の foto です。昭和38年(1963年)ですから、今から 51年前のものです。最上段の向かって左から3人目が父、最前列同左から3人目が Ernesto Mr. T です。










今の Ernesto Mr. T の歳には 既に (癌の手術で) 片肺(右肺)を無くしていた父、...せめて(井上陽水氏の歌にあるように)65歳くらいまでは...。

陽水氏の歌では父65、母64と妻の方が1つ年下ですが、Ernesto Mr. T の所は 母の方が1つ年上でした。 Ernesto Mr. T は両親が 30を幾らか越してからの 子でしたので 友だちの家の若い両親が羨ましく思えたことも ときには ありました。

今父が生きていたら 90歳です。

父は 人生が2度あれば と考えたでしょうか。