☟ Sevilla の escuela taurina 闘牛学校
コロナ禍で改めて闘牛がいかに人類にとってなくてはならないものかを思い知りました。
一 小説はいかにして作るものなるやどういふ風にして書 ものなりやと問はるる人しばしばあり。これほど答へにくき問はなし。画 の道ならば『芥子園画伝 』をそのままに説きもいづべく油画ならばまづ写生の仕方光線の取方絵具の調合なんど鴎外 西崖 両先生が『洋画手引草 』にも記されたりと逃げもすべきに、小説かく道といひては原稿紙買ふ時西洋紙はよしたまへ、日本紙ならば反古 も押入の壁や古葛籠 が張れて徳用とも答へがたく、さりとて万年筆は何じるしがよしともいひにくかるべし。
一 おのれいまだ一度 も小説家といふ看板かけた事はなけれど思へば二十年来くだらぬもの書きて売りしより、税務署にては文筆所得の税を取立て、毎年の弁疏 も遂に聴入るる気色 なし。警視庁にては新聞図書検閲の役人衆 どうかすると葉書にておのれを呼出し小使に茶を持運ばせて、この小説は先生のお作ですなこの辺は少しどうも一般の読者には烈 しすぎるやうですこの次からは筆加減でとすつかり黒人扱 なり。かうなつては遠慮も無用と先 は宗匠家元 の心意気にて小説のつくり方いかがとの愚問に対する愚答筆にまかせて書き出すといへどもこれ元より具眼 の士に示さんとするものならず。初学の人の手引ともならばなれかし。実をいへば税金を稼ぎいださん窮策なりかし。
一 小説は日常の雑談にもひとしきものなり。どういふ話が雑談なるや雑談は如何 にしてなすべきものなりやと問はれなば誰 しも返事にこまるべし。世間の噂もはなしなり己 が身の上愚痴も不平もはなしなり。日常身辺の事一として話の種ならざるはなし。然れども長屋の嚊 が金棒 引くは聞くに堪 へず識者が茶話 にはおのづと聞いて身の戒 となるもの多し。田舎者のはなしは七 くどくして欠伸 の種となり江戸児 の早口は話の前後多くは顛倒 してその意を得がたし。談話の善悪上品下品下手 上手 はその人にあり。学ぶも得やすからず。小説の道またかくの如きか。
一 人口 あれば語る。人情 あれば文をつくる。春来 つて花開き鳥歌ふに同じ。皆自然の事なり。これを究 むるの道今これを審美学 といふ。森先生が『審美綱領』『審美新説』を熟読せば事足るべし。仏蘭西 人ギヨオが学説また既に訳著あり。学者の説は皆聴くべし。月刊の文学雑誌新聞紙等 に掲載せらるる小説家また批評家の文芸論は悉 く排斥して可なり。その何が故なるやを問ふなかれ。唯蛇蝎 の如く忌 み恐れよかし。
一 小説をかかんと志すものにおのづから二種の別あるが如し。その一は十七、八歳まだ中学に通ふ頃世に流布する小説を読み行く中 自分もいつか小説かいて見たくなりて筆を執り初め、次第に興を得やがて学業の進むにつれ遂に確乎としてこの道に志すに至るもの。その二は既に高等専門の学業をも卒 へ志定 りて後感ずる事ありて小説を作るものなり。桜痴福地 先生は世の変遷に経綸 の志を捨て遂に操觚 の人となりぬ。柳浪広津 先生は三十を越えて後 初 て小説を書きし由 聞きたる事あり。夏目漱石 先生は帝国大学教授を辞して小説家となりし事人の知る所なり。然るにわれらが如きは二十 前後日常の書簡文も満足に(今でもさうですが)書けぬ中早くも小説の筆とりぬ。唯書いて見たかつたといふまでの事、同級の生徒が写真ヴァイオリン銃猟 などに凝 りしも同然当人だけは大 に志あるやうに思ひしかど、大人 から見ればやはり少年の遊戯に過ぎざりしなるべし。されば仲間のものにはその文才を惜しまれながら中ほどより止めてしまふ人もままあるならひなり。
一 その始め少年の遊戯より起りたればとて後年その人の作を軽 ずるにも当らず、成人の後大 に感憤して書いたものなりとてまたあながち尊ぶには及ばぬなり。善悪は唯その著述につきて見るべきなり。
一 好きこそ物の上手といふ諺 文学芸術の道に名をなす秘訣と知るべし。下手の横好きとは訳 ちがふなり。文芸の道は天賦 の才なくてはかなふべからず、その才なくして我武者羅 に熱中するは迷ひにして自信とはいひがたかるべし。これ己 を知らざる愚の証拠なり。我武者羅に押一手で成功するは唯地女 を口説 き落す時ばかり。黒人 にかかつては佐野治郎左衛門 のためしあり。迷はおそろし。
一 文壇の治郎左衛門やはり田舎の人に多きやうなるはわが僻目 か。むやみに大作を携へ来つて月刊雑誌の編輯者を口説き、断られて憤怒 すといへどもしかも思切れずして金あれば遂に自ら雑誌の経営を思立ち、性 の悪い文士の喰物となる話珍しからず。
一 女をくどくや先づ小当 りに当つて見て駄目らしければ退いて様子を窺 ふ気合 、これ己を知るものなり。文芸の道また色道に異るなし。およそ物事やつてゐる中 に何といふ事なく自分で自分がわかつて来るものなり。そのわからざるは反省の力乏しきもの成功の見込みなき啻 に文芸の道においてのみならんや。
一 小説の創作は感情の激動ありて後沈思回想の心境に立戻り得て始めて為 さるるものなり。例へば自叙伝の執筆の如きわが身の上をも他人のやうに眺め取扱ふ余裕なくんばいかでか精緻 深刻なる心理の解剖 を試み得んや。フロマンタンが小説『ドミニック』ゲーテが小説『ウェルテルの愁 』の如き万世この種の制作の模範となるべきものを熟読して初学者よくよく考ふべきなり。
一 読書思索観察の三事は小説かくものの寸毫 も怠りてはならぬものなり。読書と思索とは剣術使の毎日道場にて竹刀 を持つが如く、観察は武者修行に出 でて他流試合をなすが如し。読書思索のみに耽りて世の中人間実地の観察を怠るものはやがて古典に捉はれ感情の鋭敏をかくに至るべく、己 が才をたのみて実地の観察一点張にて行くものはその人非凡の天才ならぬ限り大抵は行きづまつてしまふものなり。前の二事は草木における肥料に等しく後の一事は五風十雨 の効 あるもの。肥料多きに過ぎて風に当らざれば植木は虫がつきて腐つてしまふべし。さればこの三つ兼合 ひの使ひ分けむづかしむづかし。
一 読書は閑暇なくては出来ず、いはんや思索空想また観察においてをや。されば小説家たらんとするものはまづおのれが天分の有無 のみならず、またその身の境遇をも併せ省 ねばならぬなり。行く行くは親兄弟をも養はねばならぬやうなる不仕合 の人は縦 へ天才ありと自信するも断じて専門の小説家なぞにならんと思ふこと勿 れ。小説は卑 しみてこれを見れば遊戯雑技にも似たるもの、天性文才あらば副業となしてもまた文名をなすの期なしとせず。青春意気旺盛の頃一、二の著作評判よきに夢中となりその境遇をも顧みず文壇に乗出で、これからといふ肝腎 な所にて衣食のために濫作し折角の文才もすさみ果て、末は新聞記者雑誌の編輯人なぞに雇はれ碌々 として一生を終るものあるを思はば、一たん正業に就きて文事に遠ざかるとも、やがて相応の身分となり幾分の余裕を得て後再 筆を執るも何ぞ遅きにあらんや。平素その心を失はずば半生世路 の辛苦は万巻の書を読破するにもまさりて真に深く人生に触れたる雄篇大作をなす基 ともなりぬべし。支那の文学は『離騒 』を始めとして韓柳 の文李杜 の詩に至るまで皆副業の産物なり。西洋の文学を見るもモリエールは旅役者なりけり。ウォルテール、シャトオブリアンの如き一代の文豪終生唯机にのみ向ひゐたる人にはあらず。
一 清 の名家袁随園 が『詩話』巻 四に「詩ハ淡雅 ヲ貴 ブトイヘドモマタ郷野 ノ気有ルベカラズ。古 ノ応劉鮑謝李杜韓蘇 皆官職アリ。村野 ノ人ニ非 ラズ。ケダシ士君子 万巻 ヲ読破スルモマタ須 ラク廟堂ニ登リ山川 ヲ看 交 ヲ海内 名流ニ結ブベシ。然ル後気局 見解自然ニ濶大 ス、良友ノ琢磨 ハ自然ニ精進 ス。否 ザレバ鳥啼 虫吟 沾沾 トシテ自 ラ喜ビ佳処 アリトイヘドモ辺幅 固已 ヨリ狭シ。人ニ郷党自好 ノ士アリ。詩ニモマタ郷党自好ノ詩アリ。桓寛 ガ『塩鉄論 』ニ曰ク鄙儒 ハ都士 ニ如 カズト。信ズベシ矣。」とあり初学者よくよく読み味ひて前条おのれが言ふ所と照し見よかし。
一 わが日本の文化は今も昔も先進大国の摸倣によりて成れるものなり江戸時代の師範は支那なり明治大正の世の師とする所は西洋なり。然 れば漢文欧文そのいづれかを知らざれば世に立 がたし。両方とも出来れば虎に翼 あるが如し。国文はさして要なけれどもしこれを知らんとせばやはり漢文一通 の知識必要なり。本店の内幕 を知れば支店の事はすぐわかる道理。大正現代の文学はその源 一から十まで悉 く西洋近世の文学にあり。
一 東京市中自動車の往復頻繁となりて街路を歩むにかへつて高足駄 の必要を生じたり。古きものなほ捨つべきの時にあらず。日本現代の西洋摸倣も日本語の使用を法律にて禁止なし、これに代 ふるに欧洲語を以てする位の意気込とならぬ限りこの国の小説家漢文を無視しては損なり。漢字節減なぞ称 ふる人あれどそれは社会一般の人に対して言ふ事にて小説家には当てはまらず。凡そ物事その道々によりて特別の修業あり。桜紙 にて長羅宇 を掃除するは娼妓 の特技にして素人 に用なく、後門 賄賂 をすすむるは御用商人の呼吸にして聖人君子の知らざる所。豆腐々々と呼んで天秤棒 かつぐには肩より先に腰の工合 が肝腎 なり。仕立屋となれば足の拇指 を働かせ、三味線引 となれば茶椀の底にて人さし指を叩いて爪をかたくす。漢字は日本文明の進歩を阻害すといひたければいふもよし、在来の国語存するの限り文学に志すものは欧洲語と併せて漢文の素養をつくりたまへ。翻訳なんぞする時どれほど人より上手にやれるか物はためしぞかし。
一 小説といふ語はもと日本語にあらず、戯曲院本 なぞいふも皆漢文より借り来 れるもの。これだけにても日本の小説家たるもの欧洲語の外に漢文も少しはのぞいて置く必要あるべし。小説の語は張衡 が『西京賦 』に「小説九百本自虞初」〔小説 九百、本 虞初 自 りす〕といふに始り院本の名は金 に始まる事陶九成 が『輟耕録 』に「唐有伝奇。宋有戯曲渾詞説。金有院本雑劇其実一也。」〔唐 に伝奇 有 り。宋 に戯曲、渾 、詞説 有り。金 に院本 、雑劇 有り、其 の実 は一なり。〕とあるによりて知らる。これ鷲津毅堂 先生が『親燈余影 』に出でたり。
一 鴎外先生若き頃バイロンの詩を訳せらるるに何の苦もなく漢字を以て韻 を押し平灰 まで合せられたり。一芸に秀 づるものは必ず百芸に通ず。これ一事 を究 め貫 かんと欲すればおのづから関聯 して他の事に及ぶが故なり。細井広沢 は書家なれど講談で人の知つたる堀部安兵衛 とは同門の剣客 にて絵も上手なり。当世の文士小説かくと六号活字の文壇消息に憎まれ口きくだけが能 とはあまりに潰 しがきかな過ぎる話。物貨騰貴 の世の中どつちへ転んでも少しは金の取れる余技一、二種ありてもよささうなもの也。
一 たまたま柳里恭 の『画談』といふものを見しに、次の如き条 あり。曰く総じて世の中には井 の蛙 多し梁唐宋元明 の名ある画 を見ることなき故に絵に力なし。千里を行 も爪先 の向けやうにて始まる者なれば物事は目の附けやうこそ大切なれ。善き所に目を附けて学ぶ人は早くその可 を悟り悪しき所に目を附け学ぶ人は老に至るもその不可 を知らず。例へば彼の蠅は一丁か二丁ばかりは精出して飛びそれより外に飛びもならぬ者なれど馬の背なぞにひよつと止まりぬれば一日に十里も行くが如し云々 。
一 おのれ初学のものに月刊文学雑誌または新聞紙文芸欄なぞにいづる批評を目にする勿 れと戒しむるは世に有益なる書物聞くに足るべき学者の説あるに、それはさて置きかかるものに目をつくるは即ち「悪しき処に目をつくるもの」なればなり。文学雑誌の投書欄に小品文短篇小説なぞの掲載せらるるを無上の喜びとなすものはまづ大成の見込なきものなり。柳里恭がいはゆる「爪先の向けやう」わるきものにして千里を行くものにあらず。
一 論より証拠は今日文壇の泰斗 と仰がるる人々を見よかし。森先生の弱冠にして『読売新聞』に投書せられしは今のいはゆる地方青年投書家の投書と同じからず。紅葉 露伴 樗牛 逍遥 の諸家初めより一家の見識気品を持して文壇に臨 みたり。紅葉門下の作者に至りても今名をなす人々皆然り。
一 学歴なんぞはどうでもよきものなれど今日の大学は明治中頃の尋常中学校位の程度のものになり下 りたれば、まづ何事をなすにも学士もしくはそれに相応する教育を受けてより後 の事なり。さるを学士の位を得たりとて安心するやうな人は話にならず。学問芸術はますます究 むるに従ひていよいよ疑を生ずるものなり。疑を抱かざる人はその道未だ進まざるものと見て誤 なし。
一 おのれかつて井川滋 君と『三田文学』を編輯せし頃青年無名の作家のその著作を公 にせん事を迫り来れるもの頻々 応接に遑 あらざるほどなるに、一人 として草稿の辞句なぞ正したまはれといふものはなかりけり。これ浅学の余七年間大学部教授並 に主筆の重職にありながら別に耻 一つかかずお茶を濁 せし所以 ぞかし。道場破りの宮本武蔵 来らず、内弟子ばかりに取巻かれて先生々々といはれてゐれば剣術使も楽なもの。但しかういふ先生芝居ではいつも敵役 。華魁 にはもてませぬテ。
一 おのれが観る処にして誤らずんば今日の青年作家は雑誌に名を出 さんがために制作するもの活字になる見込なければ制作の興会 は湧かぬと覚し。
一 どうやら隠居の口小言 のみ多くなりて肝腎の小説作法 はお留守になりぬ。初学者もし小説にでも書いて見たらばと思ひつく事ありたらばまづその思ふがままにすらすらと書いて見るがよし。しかして後添刪 推敲 してまづ短篇小説十篇長篇小説二篇ほどは小手調 筆ならしと思ひて公にする勿 れ。その中 自分にても一番よしと思ふものを取り丁寧に清書してもし私淑 する先輩あらばつてを求めてその人のもとに至り教を乞ふべし。菓子折なぞは持参するに及ばず。唯草稿を丁寧に清書して教を乞ふ事礼儀の第一と心得べし。小説のことなれば悉 く楷書 にて書くにも及ばじ、草行 の書体を交 ふるも苦しからねど好加減 の崩 し方 は以ての外 なり。疑しき所は『草訣弁疑 』等の書について自 ら正せ。
一 小説は独創を尚 ぶものなれば他人の作を読みてそれより思ひつきたる事はまづ避くるがよし。おのれの経験より実地に感じたる事を小説にすべし。腹案成りて後他人の作を参考とするはさして害なからん。
一 小説の価値は篇中人物の描写如何 によりて定まる。作者いかほど高遠の理想を抱きたりとて人物の描写拙 ければ唯理論のみとなりて小説にはならず。人物の描写は筆先 の仕事にあらず実地の観察と空想の力とありて初めてなさるるものなり。
一 脚色の変化に重 を置き人物の描写を軽んずるものはいはゆる通俗小説にして小説の高尚なるものにあらず。人物の描写を骨子 とすれば脚色はおのづからできて来るものなり。
一 人物描写の法一個人の性格生涯をそのままモデルとなす事あり。甲乙丙丁数人の性格を取捨按排 してここに特別の人物を作出 す事あり。別に定法 なし。唯何事も内面より観察するを必要とす。外面より観察してこれを描写するは易 く内面よりするは難 し。ゾラの小説は人物の描写とかく外部よりする傾 を憾 みとす。フローベルが『マダム・ボワリー』。トルストイの『アンナ・カレニナ』。アナトール・フランスの『紅百合 』。オクターブ・ミルボーが『宣教師の叔父』。アンリイ・ド・レニエーが『貴族ブレオーの交遊』なぞいふ作は各 作風を異 にすといへどもいづれも主として内面より人物の描写に力 めたる名著なり。
一 ここに人物を主とせざる小説にしてその価値前条述ぶる所のものに劣らざるものあり。即 都市山川 寺院の如き非情のものを捉へ来りてこれに人物を配するが如き体 を取れるものあるいは群集一団体の人間を主となしかへつて個人を次となせるが如きものあり。ローダンバックの『廃市ブリュージ』。ゾラの『坑夫ゼルミナル』。ブラスコ・イバネスの『五月の花』の如きをその一例とす。象徴詩家が散文の著作には怪異の体裁をとれるもの多し。これらは初学者の学びやすきものに非 れば例外として言はず。
一 およそ小説の作風抒情を主とするもの、叙事に重 を置くもの、客観的 なるもの、主観的なるもの、空想的なるもの、写実的なるもの、千態万様 、一々説明しがたしといへども、その価値は唯作者の人格にありといはば一言 にして尽くべし。
一 人誰しも若き時は感激しやすく、中年となれば感激次第に乏しくなる代り、世の中の事明 に見ゆるやうになるものなり。されば小説家たるものその年齢に従ひて書きたしと思ふものを書くがよし。文壇の風潮たとへば客観的小説を芸術の上乗 なるものとなせばとて強 ひてこれに迎合 する必要はなし。作者輙 ちおのれの柄 になきものを書かんとするなかれ。さりとていつもいつも十八番 の紋切形 を繰返せといふにはあらず。人間身体 の組織も七年ごとに変るといへば作者小成に安んぜず平素研鑽 怠ることなくんば人に言はるるより先に自分から不満足を感じ出し、作風は自然と変化し行くべし。
一 小説は人物の描写叙事叙景何事も説明に傾かぬやう心掛くべし。読む者をして知らず知らず編中の人物風景ありありと目に見るやうな思をなさしむる事、これ小説の本領なり。史伝は説明なり。小説は描写なり。
一 説明七 くどき時は肩が張り描写長たらしき時は欠伸 の種となる。いづれも上手とはいひがたし。筆を執るものここにおいてあるいは文勢を変じあるいは省略の法を取り、あるいは叙事の前後を顛倒 せしめて人を飽かしめざらん事をつとむ。この呼吸は読書に創作にいろいろとこの道の経験をつむに従つて会得 するものなり。
一 史伝といへども終始説明の文体を以てのみするものならず、しばしば小説風の描写を交ふ。小説また徹頭徹尾描写をのみつづくるものにあらず、伝記めきたる説明かへつて簡古 の功を奏することあり。落語講談時に他山 の石 となすに足る。
一 小説作法 の中 人物描写に次ぎて苦心すべきは叙景なり(対話は人物描写の一端と見るが故にここに言はず)小説中の叙景は常に人物と蜜接の関係を保たしむべし。その巧みなるものはかへつて直接に人物の説明をなすよりも効能ある事あり。アナトール・フランス作中しばしば見る処の学者の書斎庭園等の描写の如し。
一 叙景も外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。ハイカラに言へば絵画的たらんよりも音楽的たるべし。この処即 南画の筆法と見てよし。写生に出でて写生を離るる事なり。
一 写生を離れんと欲すればまづ写生に力 むる事初学者の取るべき道なるべし。小説は万事に渉 りて細心の注意を要するものなれば一人物を描かんとするや、まづその人物の活動すべき場面の中 街路田園等 写生し得べき処は一応写生して置くがよし。筆にて記さずとも実地に観察して心に記憶すれば足るべし。或小説家逗子 の海岸にて男女の相逢ふさまを描くや明月海の彼方 より浮び出で絵之島 おぼろにかすみ渡りてなどと美しき景色をあしらひしに、読巧者 の人これを見て逗子の地形東に山あり西に海ありその彼方より月の出 る理 なし。沈むの誤 ならずやと言はれて言句 につまりしとの話あり。写生を念頭に置けばかかる誤はおのづとなくなるなり。
一 小説かかんと思はば何がさて置き一日も早く仏蘭西 語を学びたまへ。但し手ほどきは日本人についてなす事禁物 なり。暁星 学校の夜学にでも行きその国人についてなすべし。何事も手ほどきが肝腎なり。踊三味線などもくだらなき師匠につきて手ほどきしたるものはいやな癖つきその後はいかなる名人の弟子となるとも一度つきたる癖は一生直らぬものなりとぞ。日本人のとかく語学に不得手 なるやうにいはるるは中学校にて日本の教師に英語の手ほどきされるがためなるべし。小学中学の恐るべきはこれだけにても知らるるなり。
一 小説家たらんとするもの辞典と首引 にて差支なければ一日も早くアンドレエ・ジイドの小説よむやうにしたまへかし。戦争以来多く新刊の洋書を手にせざれば近頃はいかなる新進作家の現れ出でしやおのれよくは知らねど、まづ新しき小説の模範としてはジイド、レニエーあたりの著作に、新しき戯曲の手本としてはポオル・クローデルあたりのものに目をつけ置かばたいした間違ひはなきもののやうに思はるるなり。
大正九年三月
永井荷風「黄昏の地中海」の中の西班牙
Nagai Kafū (永井 荷風, Tokio, 4 de diciembre de 1879 - Ichikawa, 30 de abril de 1959) fue un escritor japonés.
Perteneció a una familia de alta posición y de buena formación cultural. Su padre, que se formó en Princeton, logró luego un alto cargo, tras la revolución transformadora de 1868 (Meiji).
Su hijo fue siempre muy tokiota en costumbres, pero ya en su familia esas costumbres se orientalizaron mucho. De joven frecuentó las casas de placer de Yoshiwara, que retratará magistralmente; se matriculó en la Escuela de idiomas en 1898, pero sin continuidad en el estudio. Por entonces empezó a escribir.
Kafū retrató de una forma especialmente sensual los ambientes de la ciudad de Tokio antes de la II Guerra Mundial y permitió que se extendiera el conocimiento de la vida japonesa más allá de sus fronteras. Se movió entre el naturalismo y un tono estético muy oriental.
Se considera Una extraña historia al este del río (1908) su obra maestra. Patrick Modiano consideró a Kafū como el gran descriptor de Tokio, comparable en ese punto con Dostoyevski o Balzac y sus ciudades, S. Petersburgo o París.
En la época militarista de Japón, Kafū se negó a publicar y a participar en los apoyos al gobierno del Eje imperialista. Hizo traducciones, escribió ensayos, piezas de teatro. En los últimos años recobró la escritura (su 'compañera inseparable'), pero no llegó ya al altísimo nivel expresivo de sus obras maestras. Nunca se separó de su Diario hasta 1959, fecha de su muerte.
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