2017年6月8日木曜日

Azorín nació (1873) アソリン誕生 永田寛定訳「闘牛見物」

永田訳の「ひなの町々」の一部を載せておきます。

闘牛見物

 わたしがはいって行くと、犬がほえ立てる。
「これ!いけませんよ、カルリン!」と、ドニャ・イサベールが叱る。
「こんにちは。ドニャ・イサベール」と、わたしが挨拶をする。「ドン・トマスは? もうお出かけですか。」
 犬は頭を下げて、ウーウー言いながら、わたしを喫ぎにくる。むこうの部屋から、ひとりの声が呼ぶ。
「アソリン、あなたですかい、こっちへ来さっしゃれJ
 わたしは部屋へ通る。ドン・トマスが椅子の上に乗って、両手を衣裳箪笥の上へ届かせている。そこに、帽子の箱が九つも十ものせてあるのが見える。ドン・トマスはその一つを取って、下へおろす。それから、つぎつぎにほかのもおろす。
「帽子をさがしとるんでな」と、わたしに言う。
「しかし、どれもこれも、シルクハットですね」と、箱の中をあらためながら、わたしが言う。
「そうです、みなシルクハットなのじゃ。だが、わしは、ここにあるはずのつばびろ帽を探しとるんで。」
「これだけの帽子がみんなあなたのですか」と、わたしがきく。
「みな、わしのじゃ。わしの生涯の歴史がこれなのじゃ。」
「あなたが伊達者(だてしゃ)だったことは知ってますがね」と、またわたしが言う。
「あのころはしゃれた恰好もできましたよ」と、またわたしに話す。「だが、今じゃ、フロックコートを裁つ、あのころのような職人がおりませんて。」
 ドン・トマスは一つのシルクハットを箱から取りだす。
「この帽子を見さっしゃるか。これはな、コメーディア座にロメーロ党の大会が催された時、かぶったんですよ、千八百・・・・・」
 ドン・トマスはちょっと思案する。それから、たずねる。
「アソリン、あなたは、ロメーロ党の大会がコメーディア座にあった年を知りなさらんかな。」
「知りませんよ、ドン・トマス」と、わたしは答える。「九十八年ごろと思いますがね。」
「そう思わっしゃるか。パルセローナの万国博覧会に催した大会よりも前でなかったかな?」
 ドン・トマスは、これを言いながら、別の帽子を別の箱から取りだす。
「これがな」と、わたしに見せて、「パルセローナあの大会に、わしのかぶった帽子ですて。」
「いくつも家にありながら、なぜまた、そのたびに、帽子を寅いなさったんです」と、わたしがきく。
「それはこうじゃ。わしがマドリッドへ出るのはたまさかでな、むこうへ行って、帽子を寅って、それから、ここへ持って帰る。何年か経って、また出かける時がくるとな、流行がもう変ってしまって、別のを買わんけりゃならなかったのじゃ。」
 ドン・トマスはちがう帽子を、またちがう箱から取りだした。
「これを見さっしゃれ」と、明るい方へ向けて、「まだ、ほとんどどうもなっとりませんや。これを買ったのがな、ハイアライの籠球場で開催した最後の党大会に出る時でした。なんでも、千......八百......」
 ドン・トマスはまたしても、思案に耽ってしまう。
「覚えていらっしゃらんか、アソリン。ハイアライの大会が 何年だったか.....」
「覚えていませんね、ドン・トマス。千九百年か、千八百九 十九年かと患いますよ。」
「いや、ちがう」と、ドン・トマス。「わしはな、もっと前じゃと思いますて。あの時作ったフロックコートも、ここいらにあるはずなのじゃ。」
 いそがしそうに、ドン・トマスは衣裳箪笥をあけて、背広、ズボン、外套、モーニングなどをひっかきまわす。
 ドニャ・イサベールが戸口に現れる。
「あれ、まあ、トマス! 遅くなりそうですわよ」と、大声になる。
 ドン・トマスはフロックコートを肩にひっかけて、振りむく。
「もうすぐじゃ!」と、ドン・トマス。「おまえたちの支度はできたのか。夕立がきょうもくると、困るな.....」
 ドン・トマスは大急ぎで、白のつばびろ帽をかぶる。ぞろぞろと、玄関へくりだす。絹ずれの音、女靴の軽いリズム、上品な咳がひびく。フワニータがいそいそと、上気したらしく、白のマンティーリャで盛装をし、手にカーネーションの花をもって、出てくる。
「お母さん」と、ドニャ・イサベールを呼んだが、言おうとしたことを憚りでもしたように、俄かにやめてしまった。フワニータは瓜実顔、色がいささか黒く、青銅のてかとかかげりをもつが、これこそ、珍らしいまぐれ当りで、浅黒い女にごく時たま見かける、青みを帯びた優雅な青銅の色つやなの だ。
 フワニータの限は大きく、黒い。たちまちぱっと燃えて、またたちまち消える、神秘めいた光をもっている。唇が少し分厚で、赤い。足が小さく、先尖りで、高くほそいいかかとの 上へ、弓なりの軟い曲線を画いている。黒い絹の靴下の編み目やすかし模様が、赤みのさした白いはだえをうつしてい る。この肖像にいのちを吹きこむ最後の特徴をいうと、フワニータのこめかみには、ちぢれて絹糸のように柔かい、かわいい垂れ毛が琥珀の肌に黒の一はけをはいている。イスパニヤの風物を好んでかく画家だったら、フワニータはそうでなくてはならないと断言するだろう。
「お母さん」と、カーネーションをドニャ・イサベールにつきつけながら、フワニータは二度目の呼びかけをする。しかし、ちょうどその時、雷鳴が遠いところで、陰(いん)にこもってとどろく。
「あら、かみなりじゃない?」と、ドニマ・イサベールがきく。
「きょうも、夕立があるらしいて」と、ドン・トマスが言う。「お母さん」と、三度目のフワニータは、もう気が気でなく、いらいらしている。「お母さん、この花をどこへつけるのよ。」
「御相談にはね」と、ドニャ・イサベールが微笑しながら、「御相談にはね、頭でも、胸でもいいとあったよ。」
「ええ、そうよ!」と、フワニータが激しく笑いだす。すると、胸の線もかるい波を打って、ゆれる。
「御相談って、なんですか」と、わたしがきく。
「あの、『最新流行』の相談係。読者の質問に、なんでも答 えてくれますの」と、ドニャ・イサベール。
「お目にかけますわ」と、フワニータ。身をひるがえして、 絹ずれと間のととのった靴音のうちに消えてゆき、手に雑誌を握って、また現れる。
「闘牛見物には、カーネーションの花をどこへつけるかと、きいてやりましたの」と、ドニャ・イサベールが言う。
「そうしたら、御相談は」と、フワニータが引きとる。「こんな答えをしていますの。《カーネーションは頭につけるものでございますが、胸にお止めになってかまいません。花の色は大抵赤ですけれど、白でもさしっかえございません。ニいろを手ぎわよくお合わせになるとよろしうございます。》
「不得要領じゃ」と、ドン・トマスが杖をゆかにトンと落とす。
 天地が暗くなりだす。おそろしい猛烈な雷鳴が爆発する。
「そら、やってくるぞ」と、ドン・トマスが言ってのける。
 一同がっかりして、黙りこむ。門口へ出て、空ひくくかぶ さる鉛いろの濃密な雲を眺める。すると、そこへ、無蓋馬車 が一台、いなか町だけに見られる、どっしりした、古風な、感じのいい無蓋馬車が玄関前にきて、横付けになる。
「おい、ラモン」と、ドン・トマスが馭者役の家僕に声をかける。「どう思うな。今出かけたら、ぬれ鼠かな。」
 ラモンは微笑をして、答える。
「そうらしいだよ、旦那さま。」
 ぴかりと強いいなずま。雷がばりばりと、おそろしい音になって、鳴りわたる。たちまち沛然(はいぜん)たる雨。下の町の祭市では、群衆が色を失って駆けだし、すっかりあわてて、こうもりをひろげる。


永田寛定Azorín

Azorín nació アソリン誕生 (1873年)

¿Azorín, aficionado a los toros? ¿アソリンも闘牛好き?

Azorín murió (1967年) アソリンの忌日