2014年3月5日水曜日

山本 宣治 歿 (1929年) 武器なき斗い

山本 宣治(やまもと せんじ、1889年(明治22年)5月28日 - 1929年(昭和4年)3月5日)は、京都府出身の戦前の政治家、生物学者です。

山本宣治を略して山宣(やません)と呼ぶこともあります。



京都大学や同志社大学で生物学(人生生物学)を教えていた学者出身の国会議員・山本宣治が暗殺されたのは85年前の今日の出来事です。山本宣治、39歳の時です。
 若い頃アメリカ大陸に渡って、当時の日本には無かった「自由と民主主義」を身につけ、学者になってからも、ただ学生に学問を教えるだけで満足せず、貧しい労働者・農民に交じって世の中を良くする運動に身を投じた人でした。
 そして、やがて労農党の代表として衆議院議員に当選、代議士になってからも、戦争へ戦争へと国民を引きづって行こうとしていた政府の政策に真っ向から反対し、軍国主義者から命を狙われたのでした。
山宣なきあと、日本は満州事変から上海事件へ、大東亜戦争へと突き進んでいきました。