今日はアフリカの Liberia についてです。スペインの Llivia や アフリカの別の国 Lybiaとは関係ありません。Iberia とも無関係です。
「リベリアのモンロビアに向かって飛行機が下降し始めたとき、隣の女性が握りしめていたチケット入れの表紙に日本語が書いてあるのに気づいた。「日本語ですよね」と話しかけた。
彼女は色々と話してくれた。話してくれたのだけど、ここでリベリアの問題が生じる。言葉だ。
リベリアは英語が公用語だけど、この英語が大変くせのある英語で聞き取れない。以前、来たときには英語から英語の通訳を頼まなければならなかった。座席のすぐ外がプロペラというのもよくなく、女性の話してくれたことはほとんどわからなかった。どうも那須塩原に9カ月ほどいて、リベリアに戻るところだということはわかった。
というわけで、ガーナからリベリアに向かうプロペラ機で日本人と日本から帰国するリベリア人が乗り合わせる偶然はあったものの、それ以上のことはわからなかった」
Wiki の序に
「リベリア共和国(リベリアきょうわこく)、通称リベリアは、西アフリカに位置する共和制国家。北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。首都はモンロビア。
アメリカ合衆国で解放された黒人奴隷によって建国され、1847年に独立し、現在のアフリカの中ではエチオピアに次いで古い国である。1989年から2003年にかけて断続的に2度も起きた内戦により、戦争一色の無秩序な国と化していた」
とあります。
(参考までに、スペイン語版 Wiki では"La República de Liberia, o simplemente Liberia (que significa «Tierra libre»), es un país en la costa oeste de África ubicado junto a Sierra Leona y Costa de Marfil. Este país se ha visto inmerso en dos guerras civiles recientes (1989–1996) y (1999–2003) que han desplazado a cientos de miles de sus ciudadanos y devastado su economía."となっています。)
アメリカ合州国の手で作られたような国ですから、旗も良く似ているわけです。
アメリカの解放奴隷が先祖の大陸に帰って建国した国だから、首都の名前も当時のアメリカ大統領にあやかって付けた名前(モンロビア=モンロー大統領)となっているのです。
しかし、独立後長い間、アメリカの解放奴隷が現地の黒人を支配していたので、大統領一族(解放奴隷)と現地黒人との間で内戦状態にあったのです。
正確には「アメリカ植民地協会」が解放奴隷をリベリアの地に入植させて政治・経済政策の支援をしていたのです。
奴隷達はアフリカに帰った方が良かったのか、帰らずにアメリカで暮らし続けた方が良かったのか...。
国名は英語の「liberty(自由)」から来ています。
最初に出て来た「リベリアは英語が公用語だけど、この英語が大変くせのある英語で聞き取れない」というのも、「言語は英語が公用語であるが、話したり書いたり出来るのは一部の人々に限られている。その他に28に及ぶ各部族の言葉が使われている」(Wiki) のだから仕方ないでしょう。しかもアメリカ合州国南部の黒人奴隷英語が元になっているわけですから、日本などで習っている英語とはかなり違うはずです。
YouTube から Liberian English の実例を見て(¿聴いて?)みましょう。
最後に 今は[政権に]無き[¿亡き?] 野田前首相とエレン・ジョンソン・サーリーフ・リベリア大統領(H.E. Mrs. Ellen Johnson Sirleaf, President of the Republic of Liberia)の写真(僅か2カ月ほど前に撮られたもの)を載せておきます。
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☟リベリアを生き抜いた女性活動家の軌跡 ☟ 日経ウーマンオンライン
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