母が生まれたのは1923年(大正12年九月末日・日曜日)ですので、90年以上前のことです。
当時はどういう時代だったのでしょうか。取り敢えず、1923年を概観してみましょう。
1月3日 - ヤロスラフ・ハシェク死去(* 1883年生まれ)
1月9日 - キャサリン・マンスフィールド死去(* 1888年)
1月11日 - フランス・ベルギーがドイツの賠償不払いを口実にルール地方を占領(ルール占領)
1月17日 - スペインのフアン・デ・ラ・シエルバがオートジャイロの初飛行に成功
1月26日 - 孫文がソ連代表のヨッフェと会談
1月31日 - ノーマン・メイラー誕生(+ 2007年死去)
2月2日 - スペインの画家・詩人アルベルト・ラフォルス・カサマダ誕生(+ 2009年)
3月27日 - 遠藤周作 誕生(+ 1996年)
3月30日 - 工場法改正(適用年齢の引き上げ他)
4月5日 - 日本共産青年同盟(後の日本民主青年同盟)設立
5月 - 北一輝『日本改造法案大綱』
6月18日 - エトナ火山噴火
7月13日 - ハリウッドにハリウッドサインが設置
7月24日 - ムスタファ・ケマル(ケマル・アタテュルク)首班のトルコ政権が連合国とローザンヌ条約を締結
8月6日 - 事実上の国内最高気温である42.5℃を徳島県鳴門市で観測
8月25日 - 加藤友三郎内閣総辞職(首相死去)
8月28日 - 山本権兵衛に組閣命令
8月31日 - イタリアがギリシャのケルキラ島を占拠(コルフ島事件)
9月1日 - 関東大震災発生 (母がよく話していました)
9月2日 - 関東大震災: 東京市他郡部に戒厳令発令(〜11月15日)
9月3日 - 関東大震災: 戒厳地域を東京府・神奈川県に拡大
9月4日 - 関東大震災: 戒厳地域を埼玉県・千葉県に拡大
9月7日 - 関東大震災: 支払猶予令(震災手形参照)
関東大震災: 東京市内に夜間外出禁止令発令
国際刑事警察機構設立
9月16日 - 憲兵大尉甘粕正彦が大杉栄や伊藤野枝らを殺害(甘粕事件)
9月20日 - 関東大震災: 甘粕事件のため福田雅太郎戒厳司令官更迭(後任山梨半造)
9月23日 -スペインでプリモ・デ・リベラ軍事政権が成立
9月30日 - Ernesto Mr. T の 母、成田美代子 誕生(常滑、+ 2011年12月13日)
10月15日 - イタロ・カルヴィーノ誕生(+ 1985年)
10月16日 - ドイツのマルク暴落に対して暫定通貨であるレンテンマルクの発行を決定
10月29日 - トルコ共和国成立
11月1日 - スペインのソプラノ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス誕生(+ 2005年)
11月8日 - アドルフ・ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党などがミュンヘン一揆
11月23日 - ボクシング世界フライ級チャンピオン、白井義男 誕生(+ 2003年)
12月2日 - マリア・カラス誕生(+ 1977年)
12月12日 - フランスの詩人レーモン・ラディゲ、20歳にて死去
12月21日 - ネパールがイギリスから独立
12月23日 - アントニ・タピエス誕生(+ 2012年)
12月27日 - 虎ノ門事件
この年のノーベル文学賞は ウィリアム・バトラー・イェイツ(アイルランド)、また、 井伏鱒二の『山椒魚』が発表されたのも1923年であります。
母の小さい頃の fotos は全て 伊勢湾台風(1956年-昭和31年-9月26日)で失くなってしまったそうです。
次の foto は Ernesto Mr. T が赤ん坊の頃のものです。母は33-34歳でしょう。
「どうして私を産んだの」と訊くと、母の答えは決って「私が歳をとってから面倒を見てもらうためだ」でした。
息子 Ernesto Mr. T としては もう少し洒落たこと・気の利いたことでも言って欲しかったのですが。
とにもかくにも 母が亡くなってから今日で丸2年になりました。
生前は喧嘩ばかりしていた母ですが、今は もう会えもしないのに 母の入院していた病院や施設、母とよく食事に行った店などの近くまで 現在でも 屡々 足を運んでしまいます。今や木箱の中の骨と化した母ですが、Ernesto Mr. T は 日々 他愛も無いことごとを その木箱に話し掛け続けています。
何も答えてはくれません。年老いた息子・生ける屍 Ernesto Mr. T の独り言が 今日も続きます。
「どうして私を産んだの」と訊くと、母の答えは決って「私が歳をとってから面倒を見てもらうためだ」でした。
息子 Ernesto Mr. T としては もう少し洒落たこと・気の利いたことでも言って欲しかったのですが。
とにもかくにも 母が亡くなってから今日で丸2年になりました。
生前は喧嘩ばかりしていた母ですが、今は もう会えもしないのに 母の入院していた病院や施設、母とよく食事に行った店などの近くまで 現在でも 屡々 足を運んでしまいます。今や木箱の中の骨と化した母ですが、Ernesto Mr. T は 日々 他愛も無いことごとを その木箱に話し掛け続けています。
何も答えてはくれません。年老いた息子・生ける屍 Ernesto Mr. T の独り言が 今日も続きます。