2013年5月12日日曜日

El Bravo 勇敢王 Sancho IV サンチョ4世

闘牛用の素晴らしい雄牛を toro bravo と云いますが、人間の中にも El Bravo と称された人物がいました。カスティージャ王 Sancho IV です。

今日は その「勇敢王 El Bravo」の誕生日なのであります。しかも、その生地は Ernesto Mr. T が castellano puro と tacos を学んだ Valladolid なのでありまする。

サンチョ4世 Sancho IV (1258年5月12日 - 1295年4月25日、カスティージャ王国の国王、在位:1282年 - 1295年、アルフォンソ10世と王妃ビオランテ・デ・アラゴンの次男)


兄にフェルナンド・デ・ラ・セルダがいましたたが、1275年7月に死去しました。その後、1282年に父と対立し、この争いに勝利して父を廃して自ら国王として即位しました。これに対して父は宿敵であるマリーン朝のアブー・ユースフ・ヤアクーブと連合して反抗してきましたが、サンチョ4世はこれを撃破して父をセビリャに幽閉しました。そして1284年に父が死去し、名実共に国王となりました。兄フェルナンドにはアルフォンソ、フェルナンドの2人の息子がいましたが、これも退けております。

1282年に結婚した王妃マリア・デ・モリナとの間に、イサベル(アラゴン王ハイメ2世妃、後に離婚)、フェルナンド(後のフェルナンド4世)、ペドロ(アルフォンソ11世の摂政)、ベアトリス(ポルトガル王アフォンソ4世妃)らをもうけました。

1291年にサンチョ4世は遠征を行い、Tarifa タリファ(アンダルシア州)をムーア人から奪い、おじのドン・ペドロを捕らえました。上記写真は Tarifa に在る Sancho IV の記念像です。

1293年、Alcalá de Henares アルカラ・デ・エナーレス (ここでも Ernesto Mr. T はスペイン語・スペイン文化を学びました) にマドリード・コンプルテンセ大学の原型となる学術機関 ストゥディウム・ゲネラーレ (Studium generale)  を創設しました。

サンチョ4世は1295年4月25日にトレドで死去しましたが、その直前に王妃マリア・デ・モリナをまだ9歳だったフェルナンド4世の摂政に任じました。

骨肉の争いを勝ち残った王なのであります。

Sancho IV de Castilla (Valladolid, 12 de mayo de 1258 – Toledo, 25 de abril de 1295), llamado «el Bravo», fue rey de Castilla (1284–1295). Era hijo del rey Alfonso X de Castilla, y de su esposa, la reina Violante de Aragón, hija de Jaime I el Conquistador, rey de Aragón.



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