2013年5月24日金曜日

ミハイル・ショーロホフ誕生 Mijaíl Shólojov nació (1905年)

今日は、時代が変わり、今ではあまり読まれなくなったソ連(ロシア)の小説家にしてノーベル賞作家のミハイル・ショーロホフが生まれた日です。

ミハイル・アレクサンドロヴィチ・ショーロホフ(Михаил Александрович Шолохов, 1905年5月24日 <当時ロシアで用いられていたユリウス暦では5月11日> - 1984年2月21日)

トルストイに繋がるロシア文学の伝統を受け継ぎ、ソビエト文学を代表する作家としての地位を占めています。

南ロシア・ドン地方のドン川河畔のコサックの村、ビョーシェンスカヤの商人の家庭に生れ、15世紀から自治と自由を守り続けたコサック社会に、強い影響を受けました。中学に在学中、ロシア革命が起こり、赤衛軍に加わり、革命委員会の食糧調達係としてドン地方を転戦。その体験を文学作品として表現するために作家になろうと決意。モスクワに出て、石工や人夫などになって働くかたわら文学の勉強をし、1924年『ほくろ』で文壇にデビューしました。その後、短編集『ドン物語』と『るり色の曠野』を刊行し、作家としての地位を確立しました。
1925年、帰郷後は殆どドンの地を離れずに創作活動を続け、ロシア革命前後を背景にコサック社会の移り変わりを雄大なスケールで描いた代表作の4部大長編『静かなドン』(露: Тихий Дон)の執筆に専念(1925年~1940年)しました。描写が中立的なため、発表当時にソ連内で政治的曖昧さを指摘されましたが、スターリン賞を受賞し、世界的な名声を獲得しました。ソルジェニーツィンのようにこの作品に対し否定的な人もいますが、同作はソビエト文学の最高傑作の1つと言われています。また、この長編と並行して、農業集団化政策の実行過程で、様々な矛盾と困難を孕みつつ進行する1930年代の農村の改造を主題とした長編『開かれた処女地(ロシア語版)』(露: Поднятая целина)を書き、第1部を1932年に発表、第二次世界大戦中の中断を経て第2部は1960年に完結しました。ほかに長編『彼ら祖国のために戦えり』(未完)、戦争によって何もかも失った兵士の人生を描いた短編『人間の運命(ロシア語版)』(露: Судьба человека)や『子馬』などがあります。
第二次世界大戦中は従軍作家として前線に行き、プラウダ紙などに多数のルポルタージュを発表していました。更にナチスの残虐さを描いた短編『憎しみの科学』を発表しています。1937年に最高会議代議員に選ばれ、1939年からソ連科学アカデミー会員。1941年には第1回スターリン賞(文学部門)を受け、1965年には前述のようにノーベル文学賞を受けました。



Mijaíl Aleksándrovich Shólojov (en ruso: Михаи́л Алекса́ндрович Шо́лохов) fue un novelista soviético nacido el 24 de mayo de 1905 en la aldea de Kruzhílino (Rostov del Don) y fallecido el 21 de febrero de 1984.

Además fue un político y miembro importante del Partido Comunista. Principal exponente de la cultura soviética, sus obras han sido traducidas a más de 30 idiomas. En el año 1965 ganó el Premio Nobel de Literatura.



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