2012年11月4日日曜日

Creacionismo y ultraísmo (序) 27年の世代 generación del 27

Barcelona に在住の japonesa 和人 M嬢 から creacionismo と ultraísmo の違いについて質問がありました。Barcelona は toros 闘牛 を中止したり、España から独立を図ったり、Ernesto Mr. T のあまり好きな場所ではありませんが、Ernesto Mr. T の拙ブログが『スペイン、...文学...』でありますから、 少しは お答えいたしましょう。
今回は、その序として、"Generación del 27", 「(19)27年の世代」について少し触れることにします。


1927年、バロック詩人ルイス・デ・ゴンゴラ Luis de Góngora の300回忌の記念行事で中心的な役割をはたした一群の詩人たちのことを27年の世代と呼んでいます。この詩人たちは他に「98年世代の孫」をはじめ、互いの緊密な関係を表す「友情の世代」、哲学者オルテガ・イ・ガセット José Ortega y Gasset 主宰の文芸誌への参加から「『西欧評論』の世代」、政治背景から「共和国の世代」、文学的傾向から「前衛主義の世代」など、さまざまな名前で呼ばれています。



この集団を定義する特定の美学はありません。指導者を仰がず、綱領も持ちませんでした。しかし共通の傾向として、卓越した技法、革新的な言語、厳格な構成、文学的的伝統の深い理解、反ロマン主義の姿勢、隠喩の自由な使用、自然模倣(mīmēsis)を離れ、現実を抽象的に再構築する方法論などが指摘できます。
前衛主義からの出発「27年」と呼称にうたわれるにもかかわらず、詩人たちの多くが既に1920年代前半から活躍していました。その頃、スペイン語詩は1916年のニカラグアの詩人 Rubén Darío ルベン・ダリオ の死が象徴するものですが、「モデルニスモ」 modernismo ---ロマン派と高踏派の伝統をつぎ、豊かな色彩と音楽性を備える「象徴主義」の変奏---の影響から脱して、代わりとなる新しい美学を求めていました。
変革の過程で最も重要な役割を果たしたフアン・ラモン・ヒメネス Juan Ramón Jiménez は、前世紀のフランス詩人たち、マラルメ Stéphane Mallarmé、アルチュール・ランボー Arthur Rimbaud、ポール・バレリー Paul Valéry と同じ道を辿りました。グループのほぼ全員が、この『新婚詩人の日記』 Diario de un poeta recién casado (1917)の著者 Juan Ramón Jiménez に学んだ「純粋詩」を出発点としています。挿話や感傷など、poesía とは無縁な爽雑物を排除する態度は、例えば、生と世界の讃歌である『詩集』 Cántico(1928-50)の作者 ギジェン Jorge Guillénに顕著です。
ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ Ramón Gómez de la Serna も精神的な師でした。このヨーロッパ主義に精通した作家は、「諧謔 humorismo+隠喩 metáfora」と定義される短文「グレゲリーア」Gregueríasの発案者で、グループがイメージの多重性を求めて用いた隠喩の源泉となりました。
さらに、自律した詩の世界の創過を目指して.チリのビセンテ・ウイドブロ Vicente Huidobro (1893-1948)が提唱し、ヘラルド・ディエゴ Gerardo Diego とフアン・ラレーア Juan Larrea が賛同した「創造主義」creacionismo や.これに刺激されたギジェルモ・デ・トーレ Guillermo de Torre (1900-1971)らによる*「ウルトライスモ」ultraísmo 運動が、青年詩人たちを大胆な詩的実験へと誘ったことも忘れてはならないでしょう。


しかし一方で、主観性を退ける前衛主義の詩は、José Ortega y Gasset が「芸術の非人間化」 la deshumanización del arte と辞したように、人間的なものを喪失しようとしていました。「27年の世代」が得た高い評価は、斬新な詩語を用いただけではなく、そうした危機を越えて作品を探化させたことから齎されたものです。
前衛主義への強い関心にもかかわらず、彼らは先行者たちと違って伝統詩に三行半を突きつけはしませんでした。Luis de Góngora の他、ロペ・デ・ベガ Lope de Vega、ガルシラソ・デ・ラ・ベガ Garcilaso de la Vega、グスタボ・アドルフォ・ベッケル Gustavo Adolfo Bécquer といった先達に敬意が払われました。ラファエル・アルベルティ Rafael Alberti に顕著ですが、一部の詩人には新民衆主義 neo-popularismo の態度が窺えます。Rafael Alberti 『陸の船乗り』 Marinero en tierra (1924)、Gerardo Diego 『人間の詩』 Versos humanos (1925)、フェデリーコ・ガルシーア・ロルカ Federico García Lorca『ジプシー歌集』 Romancero Gitano (1928)では、ロマンセやソネットといった伝統的詩形が取り上げられましたが、それが擬古主義に陥ることはありませんでした。1930年代になると、いよいよ人間性の回復が渇望されるようになりました。愛、生、死、苦悩、絶望、望郷など、「純粋詩」が遠ざけた人間の多様な営みが主題となりました。**ペドロ・サリナス Pedro Salinas は『愛の根拠』 Razón de amor (1936)で叙情詩人としての秀でた資質を明らかにし、マヌエル・アルトラギレ Manuel Altolaguirre も処女詩集『招かれし島』Las islas invitadas(1926)以来、常に愛と孤独をよく理解していました。

**<http://ernesto-mr-t.blogspot.jp/2012/07/pedro-salinas.html>

超現実主義 surrealismo は、グループ---全員ではありませんが---にとって大いなる啓示となりました。Rafael Alberti 『天使について』 Sobre los ángeles (1929)、Federico García Lorca『ニューヨークの詩人』 Poeta en Nueva York (1929-31)、初期作品では昼と夜の神秘を謳ったエミリオ・プラドス Emilio Prados の『地下の涙』El llanto subterráneo (1936)、命あるもの全てを結び付ける自然の力を謳歌したビセンテ・アレイクサンドレ Vicente Aleixandre の『破壊もしくは愛』 La destrucción o el amor (1935)といった詩集が、それを反映しています。38年にわたって書き継がれるルイス・セルヌダ Luis Cernuda 『現実と欲望』 La realidad y el deseo (初版1936)にも、パリの運動の強い影響が伺えます。
一方、大恐慌、全体主義の台頭、共和政の誕生と危機を背景に、社会・政治参加への関心が高まり、それは Rafael Alberti や Emilio Prados の声に現れました。またグループの機関紙的性格をもった詩誌『詩のための蒼い馬』(1935-36)を共同で発行したチリの詩人パブロ・ネルーダ Pablo Neruda との交流は、内戦勃発にともない政治的色彩を濃くしていきました。
フランコ時代、この「27年の世代」の存在は無視されつつありました。後の世代との断絶は避けがたいものに思えました。しかし、例外的に祖国にとどまった Vicente Aleixandre の『楽園の影』 Sombra del Paraíso (1944)やダマソ・アロンソ Dámaso Alonso の『怒りの子』 Hijos de la ira (1944)は、スペインでの「再人間化」の流れを確かなものにしました。亡命した者の多くが大学などで教育に携わり、文学研究などの散文も手がけたました。事故死、客死、フランコ(1975)没後の帰国、いろいろありましたが、命ある限り皆が詩作を続けたのです。 


《土曜美術社出版販売》アルトゥロ・ラモネダ編著 鼓直他編訳ロルカと二七年世代の詩人たち ..
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