2012年6月27日水曜日

Bolivia ボリビアの国民的詩人 Pedro Shimose

最近、この Ernesto Mr. T の blog に Bolivia から visita があり、Bolivia について少し調べたところ、Bolivia の国民的詩人に 日系人の Pedro Shimose という人がいることを知りましたので、ここで紹介します。


Pedro Shimose Kawamura は、1940年3月30日、 ボリビア北西部にある ベニ県の Riberalta で日本人男性とRiberalta 出身で日系2世の女性との間に7人兄弟の長男として生まれました。

少年時代は主に Riberalta で教育を受けた。19歳でボリビアの中心部ラ・パスにある名門大学 la Universidad Mayor de San Andrés に入学しましたが、中退してスペイン へ留学しました。Madrid の Universidad Complutense de Madrid で学ぶ傍ら、アンダルシア人女性と出会い、1966年に結婚します。
1971年、ウゴ・バンセル・スアレス将軍が軍事クーデターを起こし、これにより左派だった Shimose はスペインへ亡命することとなりました。現在でもスペインに居を構え、子ども、孫にも恵まれています。
1972年、キューバで Quiero escribir, pero me sale espuma『ぼくは書きたいのに出てくるのは泡ばかり』が、カサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞しました。
1999年再び政権に返り咲いたウゴ・バンセル・スアレス大統領政府が公式に Shimose に謝罪しました。同年にボリビア国民文化賞を受賞しています。
Shimose の詩は政治的な非常に閃きのある言葉で有名です。その詩は Bolivia 国民に 国民としてのアイデンティティを植え付け、かつ人々を社会的抑圧から解放したのです。
Bolivia の学校の教科書には Shimose の詩が掲載されており、子供達はその詩を学んだりしています。 Shimose の作品は フランス語、ドイツ語、ロシア語、アラビア語、トルコ語、イタリア語、オランダ語、など多数の言語に翻訳されています。
作詞や作曲も手掛けており音楽においても人気がある他、ジャーナリストとしても活動し、マス・メディアにおいて積極的に発言をしています。

次の video は Shimose 作詞作曲 Los Castañeros de Riberalta (Adios mi Riberalta) です。 



ご意見、ご質問等ございましたら、<ernestotaju@yahoo.co.jp> へ。