1819年の今日(8月1日) 、Moby-Dick; or, The Whale 『白鯨』で有名な Herman Melville が、ニューヨークの裕福な輸入商の三男として誕生しました。11歳の頃家が破産し母の実家オルバニーに逼塞、2年後父が狂死、Herman は学校を中退しニューヨーク州立銀行で働くこととなりました。16歳で教員の資格を取りその後小学校の教員を務めたり測量土木の技師を志しますが、家計が逼迫し債権者の目を逃れるためランシンバークに夜逃げします。ここでも生活が成り立たなくなり、止む無く1839年に兄の紹介で船員となります。
1840年、捕鯨船アクシュネット号の乗組員となり、翌年太平洋へ航海、きびしい環境に嫌気が差し1842年7月9日、マルケサス諸島のヌクヒーバで仲間と脱走、先住民タイピー族に捕らえられ辛酸を舐めます。8月にオーストラリアの捕鯨船ルーシー・アン号に救われますが、タヒチ島で乗組員の暴動に巻き込まれイギリス領事館に逮捕されてしまいます。10月ここも脱走しエイメオ島に隠れました。この波乱万丈な航海は、11月、アメリカ捕鯨船チャールズ・アンド・ヘンリー号に救われ、翌1842年4月ハワイに着くまで続き、その後の彼の作品に大きな影を落すこととなりました。
1843年8月、ホノルルにいた Herman は、アメリカ海軍フリゲート鑑ユナイテッド・ステーツ号の水兵に採用され、翌1844年ランシンバークに帰郷します。留守中に家計も良くなり兄弟も独立していました。暮らしに余裕の出来た Herman は文筆業で身を立てようと、当時流行していた海洋小説に手を染め、マルケサス諸島の体験を元に1845年処女作 Typee を発表しました。1850年8月、以前から尊敬していた Nathaniel Hawthorne と出会います。*翌年 Moby-Dick; or, The Whale 『白鯨』を発表するなど精力的に創作活動を続けます。しかし、諸作品はことごとく評価されず、文筆で身を立てることが出来なくなりました。外国の領事や海軍に職を求めますが上手く行かず、生活に追われながら細々と小説や詩を発表する状態が続きました。
*<http://ernesto-mr-t.blogspot.jp/2012/10/moby-dick-cine-dibujos-animados.html>
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1866年12月、ようやくニューヨーク税関の検査係の職を得るも、4人の子供の内、長男マルコムのピストル自殺、自宅の焼失、次男スタンウィクスの出奔(1886年サンフランシスコで客死)などの不幸が続きます。傑作 Billy Bud 完成後の1891年9月28日に死亡しました。
難解な作風のため、一部の愛好者を除いて無視され続けていた Melville の作品は、死後30年を経た1921年に再評価の動きが起きました。この年、Raymond Weaver 著 Herman Melville: Man, Mariner and Mystic が発表され、Melville の評価は上昇しました。その後、著作集なども刊行され、1956年には Moby-Dick; or, The Whale『白鯨』の映画化(Gregory Peck主演)も行われました。Melville の存命中に考えられなかったことに、今やアメリカ合州国を代表する文学者として世界中に知られるようになったのです。
Moby-Dick; or, The Whale については語り尽くせませんが、 Japan、Japanese がそれぞれ10回、それに、Japans、Niphon が1回ずつ使われるくらい、日本近海も舞台になっているということだけ今日はお知らせしておくことにします。
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