ナギーブ・マフフーズ(Naguib Mahfouz、نجيب محفوظ )は、1911年12月11日、エジプト、カイロの商家に生まれました。分娩した医師、ナギーブ・パシャ・マフフーズ教授(1882年 - 1974年)にちなみ名付けられました。カイロ大学卒業後、70年にわたって公務員として文化省に勤務するかたわら執筆を続け、34の小説、350以上の短編を発表しました。その他、映画脚本も精力的に発表し、作品の多くがイスラム圏で映画化されました。
1959年に発表された『ゲベラウィの子供たち』は「宗教的な冒涜」を理由に、エジプトで発売禁止となりました。長編『バイナル・カスライン』をはじめ、出身地であるカイロの旧市街を舞台にした作品が多く、伝統と近代化の間に翻弄される庶民の姿などを描き、「エジプトのバルザック」とも例えられました。また、宗教的な寛容と節度を主張していました。民主化などで政府に注文もつける一方、イスラム原理主義にも批判的な立場を取りました。
1988年、「全人類に適用可能なアラブ的文章表現の芸術である」として、エジプト初、アラビア語作家として初のノーベル文学賞を受賞しました。マフフーズ作品は反イスラム的との非難を受け、多くのアラブ諸国で発売禁止とされていましたが、ノーベル賞受賞の後は、この措置もとられなくなりました。1989年、イランのホメイニーが、小説『悪魔の詩』の著者サルマン・ラシュディに死刑を宣告した際は、その宣告を拒否するようイスラム世界に呼びかけました。1994年、カイロの自宅前で、一部作品を不敬とするイスラム過激派組織「イスラム団」メンバーに首などを刺される事件が起きました(のち組織は誤りだったと謝罪しました)。この負傷で右腕に後遺症が残ってしまいました。以降、ボディガードの監視下に置かれました。
1999年、シリア文化人たちの協議で「20世紀最高のアラブ人作家」に選ばれるなど、アラブ諸国を代表する作家となりました。2006年7月に 倒れ、頭部に損傷を受けて入院しました。血圧の急激な低下と腎機能低下のため、カイロの病院で治療を受けました。カイロの病院で同年8月30日に死去、享年94歳でした。翌日、ムバラク大統領が指揮する軍隊による国葬が行われました。葬儀が執り行われたフセイン・モスクは、代表作『バイナル・カスライン』に続く3部作で、重要な舞台として登場する地域にあるモスクでした。葬儀後、カイロ郊外のナスルのアル・ラシュダン・モスクに埋葬されました。
Naguib Mahfuz, en árabe نجيب محفوظ (El Cairo, 11 de diciembre de 1911 - íd., 30 de agosto de 2006), fue un escritor egipcio. Conocido especialmente por su obra narrativa, le fue otorgado el Premio Nobel de Literatura del año 1988, siendo así el primer escritor en lengua árabe en recibir dicho galardón.
Naguib MAHFOUZ aŭ Nagib MAHFUZ (11-a de decembro 1911 en Kairo, Egiptio – 30-a de aŭgusto 2006 samloke) estis egipta verkisto kiu ricevis la Nobel-premion en literaturo en 1988, iĝante la unua verkisto de araba lingvo kiu ricevis tiun premion. Mahfuz estas grava intelektulo unuaranga en sia lando, Egiptio, en la araba mondo kaj internacie.
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