2012年8月3日金曜日

ソルジェニーツィン Александр Исаевич Солженицын Alexandr Isaevich Solzhenitsyn


4年前の今日(2008年8月3日)、アレクサンドル・イサーエビチ・ソルジェニーツィン(Александр Исаевич Солженицын  Alexandr Isaevich Solzhenitsyn)が亡くなりました。ソビエト連邦の作家、劇作家、歴史家です。1990年代ロシア再生の国外からの提言者でした。
ソビエト連邦時代の強制収容所・グラグを世界に知らせた『収容所群島』や『イワン・デニーソビチの一日』 (Оди́н день Ива́на Дени́совича 、 One Day in the Life of Ivan Denisovich) を発表し、1970年にノーベル文学賞を受賞しました。
1974年にソ連を追放されるも、ソ連崩壊後の1994年5月27日、亡命先の米国から合衆国国民となった妻のナタリアと共にロシア連邦に帰国しました。プライバシーが尊重される米国で大歓迎を受けていたのですが、母国以外では全く寛げなかったそうです。(息子たちは合衆国に留まりました。後に長男のヤーモライはロシアに戻り、モスクワで管理コンサルタント会社に勤務しました。)その後ソルジェニーツィンは死去するまで妻と共にモスクワ西部郊外のダーチャに居住しました。
ソルジェニーツィンの生涯は、彼の人生を左右した二つの価値観、つまり父譲りの愛国心と、母譲りのキリストへの信仰心に彩られていました。愛国者として彼は大祖国戦争に従軍し、国外追放の身であってもロシアの再生を提言しました。信仰者としての彼は、ロシアが愛国心の方向を誤ったとき、断固神の基準に立って幾多の人生の試練に神の信仰によって立ち向かいました。彼はノーベル文学賞よりも、宗教界のノーベル賞テンプルトン賞が嬉しかったと述べています。
ウラジオストクからシベリア鉄道を使ってロシア地方各地を視察し、エリツィンの急激な経済自由化政策と新自由主義経済の導入により疲弊した農村や都市を見回った後、エリツィン大統領と面会した際に自分が見聞した地方の窮状を伝え、急速な経済自由化に警鐘を鳴らしましたが、この提言は聞き入れられずソルジェニーツィンはエリツィンに失望しました。プーチンが大統領になると、エリツィン前大統領を酷評するとともにプーチンへの明確な支持を表明し、「打ちのめされ、国民も意気消沈したロシアを引き継ぎながら、徐々に善実に復活させた」とプーチンを絶賛するに及んでは、Ernesto Mr. T もがっかりさせられてしまいました。


前述しましたように4年前の今日、2008年8月3日にモスクワの自宅で心不全のため死去しました。89歳でした。Ernesto Mr. T は複雑な思いでした。


若い世代の方は ソルジェニーツィン と言ってもあのり関心がないかもしれませんが、冷戦時の鉄のカーテンの向こうのラーゲリの生活を淡々と描いた『イワン・デニーソビチの一日』には世界中が昂奮したものです。日本では、以下のように5種類もの翻訳が出版されたものでした。

    木村浩訳、新潮文庫、1963
    小笠原豊樹訳、河出書房新社、1963
    江川卓訳 毎日新聞社、1963 のち講談社文庫
    稲田定雄訳 角川文庫、1968 
    染谷茂訳、岩波文庫、1971

一方、最後の大作とも言える『赤い車輪』は今でも邦訳が出ていません。時代が変わったのか、ソルジェニーツィンという人物を判断することが難しいのか、Ernesto Mr. T は先程も申しましたように複雑な気分です。

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