フアン・ルイス・デ・アラルコン・イ・メンドーサ(Juan Ruiz de Alarcón y Mendoza, 1581年? - 1639年8月4日)はスペイン黄金世紀(Siglo de Oro)の劇作家の中では、ただ一人のスペイン系アメリカ人でした。一方、スペインの大劇作家の中では最も寡作な作家でした。作品の熟考と、韻文化と全体の構成を磨くことに、相当の苦心をしたのです。ジェームズ・フィッツモーリス=ケリーはアラルコンのことを「ルイス・デ・アラルコンより偉大なスペインの劇作家はいる。ただし、あのような揺るぎない完全性を示す作品は他にない」と述べています。
アラルコンは少なくとも二十の劇を書きました。(前述しましたように多作ではありませんでした。)その中で最も有名な作品は*『疑わしい真実(La Verdad sospechosa)』です。フランス文学史上最初のフランス喜劇であるピエール・コルネイユの『嘘つき男(Le menteur)』は、作者本人も認めているように、この『疑わしい真実』の焼き直しです。
*この有名な『疑わしい真実(La Verdad sospechosa)』には日本では神奈川大学の岩根先生の翻訳がありますが、他の作品は見付かりません。他の作品の邦訳を知っている方がいらっしゃったら、ぜひ御連絡ください。
ところでライバルたちは、彼の奇形に敵意を募らせたのか、たびたび口論を仕掛けてきたようです。しかし、彼らの攻撃に、アラルコンは威厳ある態度を貫きました。『Los pechos privilegiados』で、ロペ・デ・ベガに対してとった彼の逆襲は、冷淡かつ軽蔑に満ちた毒舌のこれ以上はない見本でした。
他のどのスペインの劇作家より、アラルコンは道徳的目的を気に掛けていました。台詞同様に輝かしい劇的な表現の才能は、自然で、生き生きしていました。スペイン生まれでないことがアラルコンの劇の注目すべきところであると言われてきました。確かにその意見にはいくつかの根拠がありますが、アラルコンの技量は異常に細心で、『El Tejedor de Segovia』で、国民的芸術、国民的感情、国民的表現の傑作を生み出したのです。
日本では、『三角帽子』(El sombrero de tres picos) の方のアラルコン、つまり、ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン (Pedro Antonio de Alarcón,1833年3月10日 - 1891年7月19日) の方が有名かもしれませんね。
ご意見、ご質問等ございましたら、 <ernestotaju@yahoo.co.jp> へ。
日本では、『三角帽子』(El sombrero de tres picos) の方のアラルコン、つまり、ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン (Pedro Antonio de Alarcón,1833年3月10日 - 1891年7月19日) の方が有名かもしれませんね。
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