2012年9月21日金曜日

Carlos I de España (Carlos V de Alemania) カルロス1世(Karl V) カルロス五世

1558年の今日(9月21日)、Carlos I (Carlos V) カルロス1世 (カルロス五世) が亡くなりました。1500年2月24日生まれでしたから、享年58でした。


1500年:フランドル(現在のベルギー)に生まれる。
1516年:母方の祖父フェルナンド2世の死後、スペイン王カルロス1世として即位(スペイン・ハプスブルク朝の開始)。一部は正式には女王フアナの王権代行である(フアナは精神を病んでいたため、カールが実質的に統治)。
1517年:初めてのスペイン入り。マゼランを西回り航路艦隊の長に任命。
1519年:父方の祖父マクシミリアン1世が死去し、神聖ローマ皇帝の選出選挙が行われる。フランス王フランソワ1世と争った末に、神聖ローマ皇帝カール5世として即位。選挙資金はフッガー家の支援を得る。同年9月にマゼランの艦隊が出発。
1521年:帝国議会にルターを喚問。ルター派の禁止を決定。同年、皇帝軍・教皇軍がフランス占領下のミラノ公国を侵攻(1521年 - 1544年の間にフランソワ1世との間で行われた一連の戦闘をイタリア戦争という)。
1522年:マゼランの艦隊が帰還、世界一周を達成。船長フアン・セバスティアン・エルカーノに称号を授ける(マゼランはフィリピンで戦死)。
1525年:パヴィアの戦いで捕虜になったフランソワ1世がスペインに送られる。同年、ポルトガル王女イザベルと結婚。
1526年:ルター派を黙認、教皇クレメンス7世がフランスと同盟(コニャック同盟)。
1527年:コニャック同盟への報復措置として皇帝軍がローマに侵攻(ローマ略奪)。
1529年:オスマン帝国による第一次ウィーン包囲、ルター派を再び禁止。
1530年:フィレンツェ侵攻、メディチ家を臣下とし、フィレンツェ公国を建国。ボローニャで教皇クレメンス7世のもと神聖ローマ皇帝の戴冠式。
1532年:オスマン帝国の脅威に備えるためプロテスタント諸侯に一定の譲歩、ニュルンベルクの和議を結ぶ。
1535年:オスマン帝国艦隊を破る。
1538年:プレヴェザの海戦、オスマン帝国に大敗。地中海の制海権を失う。
1539年:プロテスタント諸侯と休戦。  
1541年:ラス・カサスに謁見、スペイン人によるアメリカ先住民虐殺の報告を受ける。
1545年:オスマン帝国と休戦、トリエント公会議が始まる(カール5世はカトリックとプロテスタントの和解を望む)。
1546年:プロテスタント諸侯と対立、シュマルカルデン戦争。
1547年:プロテスタント諸侯を破る。
1552年:シュマルカルデン同盟の指導者のザクセン選帝侯モーリッツに破れる。弟のローマ王フェルディナントはモーリッツとの間でパッサウ条約を締結。
1555年:母フアナが死去し、正式にスペイン国王になる。アウクスブルクの和議でルター派を許容。
1556年:スペイン王・神聖ローマ皇帝を退位、修道院に隠棲。
1558年:死去。


スペイン王として、神聖ローマ皇帝として、生涯かけてヨーロッパ全土を回り、北アフリカにまで足を伸ばしています。
多言語話者であったと言われており、カール5世の言葉として伝えられる有名なものに * "Hablo el español con Dios, el italiano con las mujeres, el francés con los hombres y el alemán con mi caballo." ("I speak Spanish to God, Italian to women, French to men and German to my horse." )「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、ドイツ語は馬への言葉」というものがあります。

* 別の versiones として
"Hablo latín con Dios, italiano con los músicos, español con las damas, francés en la corte, alemán con los lacayos e inglés con mis caballos."
"Hablo en italiano con los embajadores; en francés, con las mujeres; en alemán con los soldados; en inglés con los caballos y en español con Dios."
"Uno debe hablar español con Dios, italiano con la amiga, francés con el amigo, alemán con los soldados, inglés con los patos, húngaro con los caballos y bohemio (checo) con el diablo."
"El español para mis tropas, el francés para las mujeres, y el alemán para mi caballo."
などがあります。

しかし、実際は、カール5世が不自由なく完璧に話すことができたのは、フランス語とスペイン語だけであり、ドイツ語とイタリア語については完全ではありませんでした。ラテン語も話せましたが、これも不完全なものでした。


ワシントン・アービング(Washington Irving) とアルハンブラ (Alhambra)



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