2012年9月5日水曜日

Hotta Yoshie, 堀田善衛

24年前の今日(9月5日)堀田善衛が亡くなりました。堀田善衛は スペインに興味のある人間にとっては忘れることのできない作家の1人です。

El escritor japonés Hotta Yoshie nació en la provincia de Toyama, al oeste del archipiélago el 7 de julio de 1918. Viajó a China antes del final de la II Guerra Mundial y permaneció allí hasta 1947. En 1952 recibió el premio Akutagawa, máximo galardón de las letras niponas, por su libro Hiroba no Kodoku (Soledad en la Plaza), en el que trató los efectos de la guerra de Corea en los intelectuales japoneses.
Hota fue el representante de Japón en la conferencia de Escritores de Asia y Africa, en 1978, donde hizo un llamamiento a los autores para mantenerse distanciados de la política. Después de terminar una biografía en cuatro tomos sobre el pintor español Francisco de Goya, a finales de la década de los años setenta, se estableció en España donde vivió hasta el año 1987, en que regresó a Japón. Hotta falleció el 5 de septiembre de 1998, de un ataque cardíaco a los 80 años, en la ciudad de Yokohama, al sur de Tokio.

「岐路における選択の片方は、つねに死である。如何なる場合にも、人は生を選びえなければならぬ筈である。木垣には、一九五〇年の七月某日、喫茶店の椅子にぐったり腰を落しているのは、木垣幸二という特定の人物ではなくて、どこの誰でもいい任意の人物のように思いなされた。人は選ぶことによつて数学の単位のような任意の存在から、意味をもった特定の存在になるのである。彼の周囲では、選択は畳み込み追い込むように行われていた。新聞も経済も戦争の方に張り込み、輿論調査と称するものによれば、国民の大部分も決定をしたことになっている、たとえそれがかりそめの恐怖にもとづくものであろうとも。木垣は自分の手を凝っと見詰めた。彼の手も汚れているのだ。そしてその汚れこそが真に彼自身にほかならぬのだ。しかしその汚れを正当化し、口実をみつけるために選ぶこともまた、己れを裏切ることにほかならない。彼は再び、放出のコーヒーやチーズやバターを行商してあるく、近所に住む追放された党員のKを思い出し、また先夜の特需景気に酔った労働者を思い出した。絶対に手を清くする純粋の道徳----そんなものは存在しない。だとすれば、あの労働者の赭ら顔こそは健康なものであって、椅子の上に〈死んでいる〉木垣こそは、実に本当に死んでいるのではないか。」(『広場の孤独』1951年)


堀田善衛の父・堀田勝文は富山県会議長をしており、母・堀田くには大正年間に富山県で初めて保育所を創設した女性です。
生家は伏木港の廻船問屋であり、当時の日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚を幼少時から養うことができました。旧制金沢二中から1936年に慶應義塾大学政治科予科に進学し、1940年に文学部仏文科に移り卒業しました。大学時代は詩を書き、雑誌『批評』で活躍し、その方面で知られるようになりました。戦争末期に国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで敗戦を迎え、国民党に徴用されました。引揚後、読売新聞社外報部に勤務したが、1週間で退社し、作家としての生活に入りました。
1952年 、上記の『広場の孤独』で芥川賞を受賞しました。
1956年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問し、この経験を岩波新書の 『インドで考えたこと』に纏めました。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍しました。また、その中での体験に基づい た作品も多く発表し、欧米中心とは違う、国際的な視野を持つ文学者として知られるようになりました。この間、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任しました。1960年代にはモスクワでパキスタンの詩人ファイズ・アハマド・ファイズと知り合いました。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解したあと、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも、初代の事務局長を務めました。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり、脱走米兵を自宅に匿ったこともありました。
1977年、『ゴヤ』完結後、スペインに 居を構え、それからスペインと日本とを往復する生活を始めました。スペインやヨーロッパに関する著作がこの時期には多くおります。また、1980年代後半からは、社 会に関するエッセイである〈同時代評〉のシリーズを始め、これは1998年の今日、9月5日の心臓発作による作者の死まで続けられ、没後『天上大風』として1冊に纏められました。


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