2012年9月27日木曜日

シャンポリオン Champollion、ロゼッタストーン解読 conseguió descifrar la piedra de los tres idiomas / Nishida Tatsuo 西田 龍雄 murió 死去


1822年 の今日、9月27日、 ジャン・フランソワ・シャンポリオン(Jean-François Champollion)がロゼッタ・ストーンの解読成功を発表しました。

シャンポリオンは、1790年12月23日、フランスのロット県フィジャックに生まれました。少年時代から非凡な語学的才能を示し、9歳でラテン語を話したと言われています。グルノーブルの高等学校で、中国語を含む多くの古代語を学びました。18歳の時には、出回っていたロゼッタ・ストーンのコピーの一部を手に入れていました。 20歳までにラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アムハラ語、サンスクリット語、アヴェスタ語、パフラヴィー語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、中国語などを習得していました。コプト語などの東洋語に対する関心を持っており、発見されたばかりのロゼッタ・ストーンをイゼール県知事だった数学者ジョゼフ・フーリエに見せてもらって以来、そこに書かれている文字(ヒエログリフ: 古代エジプト象形文字)の解読に取り組み始めました。
1809年、グルノーブル大学の歴史学助教授となりました。1822年の今日、9月27日 に ヒエログリフの解読結果をパリ学士院で発表しました。 
1824年から1826年までイタリアに滞在し、トリノ・エジプト博物館から古代エジプトのパピルスと芸術品を相当数提供してもらったことにより、精力的に研究活動に取り組みました。1824年に『ヒエログリフの体系概説』発表しました。 1826年にはルーブルのエジプト美術部門創設を担当しました。
1828年と1830年に、長年の夢であったエジプトへの調査旅行を果たしました。
その後、パリに戻り、1831年5月18日、コレージュ・ド・フランスの古代エジプト学教授となりました。 しかし、1832年3月4日、コレラに罹り41歳でパリで死去してしまいました。遺体はペール・ラシェーズ墓地に埋葬されています。

El 27 de septiembre de 1822, se presentó su descubrimiento ante la Academia de Inscripciones de París, de manera formal, por medio de una carta. Carta para M. Dacier relativa al alfabeto fonético jeroglífico utilizado por los egipcios (Bon-Joseph Dacier era el secretario de la Academia por aquel entonces) La carta se tradujo y publicó en varios idiomas y empezaron los elogios y las críticas. Algunos no le creyeron; otros, como Thomas Young, lo acusaron de robar las ideas de otros. Champollion no se rindió; gracias a las visitas al Museo de Turin, que albergaba muchos textos jeroglíficos, en el año 1824 tenía perfeccionado su sistema y se vio con fuerzas para publicar Précis du système hiéroglyphique des anciens Égyptiens (Resumen del sistema jeroglífico de los antiguos egipcios) En esta obra explicaba la complicada naturaleza de los jeroglíficos:
    «La escritura jeroglífica es un sistema complejo, una escritura que es a un tiempo figurativa, simbólica y fonética en un mismo texto, en una misma frase y, debería decir, casi en una misma palabra.»    Champollion, 1822
Jean-François Champollion, conocido como Champollion el joven (Figeac, departamento de Lot; 23 de diciembre de 1790 – París; 4 de marzo de 1832), filólogo y egiptólogo francés, considerado el padre de la egiptología por haber conseguido descifrar la piedra de los tres idiomas y haber encontrado el sonido de cada uno de los jeroglíficos. Decía de sí mismo:
   «Soy adicto a Egipto, Egipto lo es todo para mí».

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P.D.  日本のシャンポリオン、言語学者・西田龍雄氏が昨日・26日、心不全で死去しました。

西田氏は東アジアの言語と文字が専門で、チベット・ビルマ諸語の構造解明など、周到な分析的手法で各言語の体系を復元、歴史的に位置づけました。特に、中国西北部に13世紀まであった西夏国の西夏文字を解読した成果は、同国研究に道を開いたとして、世界的に評価されました。


Nishida Tatsuo (西田 龍雄, born November 26, 1928 in Osaka) died yesterday. His work encompasses research on a variety of Tibeto-Burman languages, he made great contributions in particular to the deciphering of the Tangut Language.