2012年9月25日火曜日

ワンガリ・マータイ Wangari Muta Maathai

今日は環境保護活動家ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai, 1940年4月1日 - 2011年9月25日)の一周忌です。(*拙ブログ「みどりの日」も参照してください。)

*<http://ernesto-mr-t.blogspot.jp/2012/05/dia-del-verdor.html>

ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai)は、1940年4月1日、ケニア中部のニエリの農家の娘として生まれ、アメリカ、カンザス州のベネディクティン・カレッジ卒業後、ピッツバーグ大学で修士号、ナイロビ大学で博士号(獣医学)を取得し、1971年にはナイロビ大学教授に就任しました。ナイロビ大学初の女性教授です。
1977年にグリーン・ベルト・ムーブメントを設立して土壌の浸食と砂漠化を防止する植林活動を開始し、1986年にアフリカン・グリーン・ベルト・ネットワークへ改称後、アフリカ大陸全土で植林活動を行い、民主化や持続可能な開発の推進に取り組みました。
また、独裁政権下にあったケニアにおいて、公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄を経験しました。女であるにもかかわらず意志が強すぎ、コントロール不可能であると夫が国に訴え離婚させられた経験も持っています。1997年にはケニアの大統領選挙に立候補しようとしましたが、所属政党の説得により断念しました。
2002年に国会議員となり、2003年から環境・天然資源・野生動物省の副大臣を務め、ケニア・マジンジラ緑の党を設立して代表も務めました。
2004年12月10日に「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」のため、環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞しました。アフリカ人女性としても史上初の受賞でした。
ノルウェー・ノーベル委員会は、2004年度のノーベル平和賞受 賞者を発表する席で次のようにコメントしました。「マータイは、ケニヤの圧政的な前政権に対し果敢にも立ち上がり、彼女のユニークな運動は政治的抑圧に対して 国内、また国際的にも注意を引くのに貢献した。彼女は民主的権利への運動の中で多くの人々にとってインスピレーションとなり、また特に女性の地位向上を促 すのに勇気を与えた」。
(ノーベル平和賞受賞の報告を受けての席上で、マータイは、エイズウイルス陰謀説のうちの一つである「HIVウイルスは生体工学の産物であり、アフリカにおいて西洋の科学者によって、黒人を懲らしめるために大量破壊兵器としてばら撒かれた」との主張に対して賛成するようなコメントをしました。その後マータイは自らの見解を、2004年10月10日付TIMEマガジンヨーロッパ版にて明らかにしました。)
また、2005年2月14日から10日間、京都議定書関連行事出席のため来日した際、日本語の「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、同年3月に国連女性地位委員会で出席者全員と「もったいない」と唱和したりしました。「MOTTAINAI」キャンペーンの始まりでした。
同2005年3月28日、アフリカ連合経済社会文化会議の初代議長に選出されました。
2006年のトリノオリンピックの開会式ではオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めました。
しかし、2007年実施のケニア国会議員総選挙では落選しました。
2009年5月にはケニアの岩谷滋雄特命全権大使から旭日大綬章の伝達を受け、同年12月には国連平和大使に任命されました。
昨年の今日、2011年9月25日、ガンのためケニアの首都ナイロビの病院で死去しました。71歳でした。
同年9月28日、ケニアのキバキ大統領は生前の功績を称え国葬とすることを決め、10月8日にナイロビ市内のウフル公園で国葬が行われました。葬儀は「木を使わないで」という遺言に従い、特製の棺に納められガスによる火葬に付されました。

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