2012年9月10日月曜日

Guernica ゲルニカ返還 a España (1981)


Guernica es un famoso cuadro de Pablo Picasso, pintado en los meses de mayo y junio de 1937, cuyo título alude al bombardeo de Guernica, ocurrido el 26 de abril de dicho año, durante la Guerra Civil Española. Fue realizado por encargo del Director General de Bellas Artes, Josep Renau a petición del Gobierno de la República Española para ser expuesto en el pabellón español durante la Exposición Internacional de 1937 en París, con el fin de atraer la atención del público hacia la causa republicana en plena Guerra Civil Española.
En la década de 1940, puesto que en España se había instaurado el régimen dictatorial del general Franco, Picasso optó por dejar que el cuadro fuese custodiado por el Museo de Arte Moderno de Nueva York, aunque expresó su voluntad de que fuera devuelto a España cuando volviese al país la democracia. El 10 de septiembre de 1981 la obra llegó finalmente a España. Se expuso al público primero en el Casón del Buen Retiro, y luego, desde 1992, en el Museo Reina Sofía de Madrid, donde se encuentra en exhibición permanente.
Su interpretación es objeto de polémica, pero su valor artístico está fuera de discusión. No sólo es considerado una de las obras más importantes del arte del siglo XX, sino que se ha convertido en un auténtico "icono del siglo XX", símbolo de los terribles sufrimientos que la guerra inflige a los seres humanos.


スペイン内戦の最中の1937年4月26日、スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆と言われることもあります。滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを題にこの作品に取り組み、6月4日には完成させました。
スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結しました。この絵はロンドンなどを巡回したのちにヨーロッパの戦火を避け、1939年、米国に渡りニューヨーク近代美術館に預けられました。第二次世界大戦後もフランコ将軍の政権下にあったスペイン政府はこの絵の返還を求めましたが、「スペインに自由が戻るまでこの絵を戻すことはない」とピカソは拒否しました。
ピカソは1973年にこの世を去りました。フランコ将軍も1975年に没し、政体の代わったスペインとニューヨーク近代美術館との間にこの絵の返還交渉が再び始まりました。1981年9月10日になってようやくスペインに返還され、現在はマドリードのソフィア王妃芸術センターに展示されています。
ピカソは大戦後これと同じ図柄のタペストリーを3つ制作しており、そのひとつはニューヨークにある国際連合本部の国際連合安全保障理事会議場前に展示されています。
『ゲルニカ』は、その誕生からその遍路の間も反戦のシンボルであり続けてきました。ただ、ピカソが後に共産党員になったことや人民戦線との繋がりから、ピカソの義憤の象徴と解釈するのには異論もあります。


ご意見、ご質問等ございましたら、<ernestotaju@yahoo.co.jp> へ。


P.D. 『ゲルニカ』制作の裏には2人の女、ドラ・マールとフランソワーズ・ジローの争いがあったと言われています。『ゲルニカ』の制作過程をドラが写真に記録したことは有名ですが、そこにフランソワーズが嫉妬心を抱き、『ゲルニカ』制作中、ピカソが工業用のペンキまみれで描いている背後で、2人の取っ組み合いがあったようです。

この2人は『ゲルニカ』にも描かれており、右上の手を挙げて泣き叫ぶ女はドラ・マール、ランプを持ち覗き込むようにして絵の中心にある女がフランソワーズ・ジロー、ちなみに、左下に倒れている兵士はピカソ自身だそうです。