2013年4月20日土曜日

セビージャ万博 La Exposición Universal de Sevilla (1992)


La Exposición Universal de Sevilla 1992 se celebró en la capital de Andalucía (España) en el año 1992, y fue conocida popularmente como "Expo'92" o "la Expo".
Como toda Exposición Universal posterior a 1931, estuvo regulada por la Oficina Internacional de Exposiciones. Tuvo una duración de seis meses, comenzó el 20 de abril y finalizó el 12 de octubre coincidiendo la fecha con el V Centenario del Descubrimiento de América, debido a este hecho su lema fue "La Era de los Descubrimientos".
La mascota oficial de la Expo 92 se llamó Curro, un simpático pájaro de pico y cresta multicolor.
Al termino de la Exposición Universal las infraestructuras se han aprovechado para reconvertirlas en un parque tecnológico llamado Cartuja 93 y un parque temático llamado Isla Mágica, además de usos administrativos, universitarios y de equipamiento para la ciudad.

セビージャ(Sevilla)万国博覧会は、1992年にスペイン南部、アンダルシア州の州都セビージャ(Sevilla)で開催された国際博覧会で、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)以来の一般博であり、176日間の会期(4月20日 - 10月12日)の間に総入場者数は約4181万人に及びました。

以下の地図は参加国一覧です。



同地に葬られている Cristobal Colón クリストバル・コロン、俗に言うコロンブスが1492年に「新大陸」に到達してから500年に当たる記念行事として設定され、「発見の時代」がテーマでしたが、ヨーロッパ中心の歴史観が一方的であるという批判も起きました。万博最終日はコロンブス艦隊が新大陸を発見した、すなわちバハマ諸島のサン・サルバドル島(グァナハニ島)に上陸した日付でした。

スペイン政府は万博に合わせたインフラ整備も行いましたが、最大のものはスペイン国鉄(RENFE)による高速鉄道AVEの建設です。首都マドリードとの約500kmを約2時間半で結び、万博輸送やその後の産業発展に大きな役割を持ちました。

あの頃の熱いスペインは何処に行ってしまったのでしょう。



言うまでもなく、日本政府もこの万博には参加しました。総合プロデューサーは作家の堺屋太一が務め、木造のパビリオンは建築家の安藤忠雄が設計しました。館内では安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元がメイン展示として紹介され、6代目尾上丑之助(現在の5代目尾上菊之助)による歌舞伎などの上演も行われた。万博終了後、安土城の原寸復元は滋賀県近江八幡市の「安土城天主信長の館」へ移築され、現在でも公開されています。

また、万博開催構想を発表していた愛知県がPR活動を行いました。この時の活動の一部は2005年開催の2005年日本国際博覧会(愛知万博)へとつながっています。

セビージャ万博の際にはサンタ・マリア号らコロンブスの船団を成した3隻の船や、フェルディナンド・マゼランの船団においてただ1隻、世界一周を果たして帰還したビクトリア号の復元船が建造されていました。復元船ビクトリア号は愛知万博にあわせて世界一周に挑み、その途上、万博開催期間中の名古屋港にも寄港しています。

あれから21年が経ちました。当時誰が 今のような la crisis を想像しえたでしょうか。

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