2012年10月25日木曜日

Los pobres deben comer más cebada que arroz 貧乏人は麦を食え、¿池田勇人? Ikeda Hayato


48年前の今日、1964年10月25日に、池田勇人首相が辞任しました。


貧乏人は麦を食え

第三次吉田内閣で吉田は一年生議員の池田を大蔵大臣に抜擢して世間を驚かせましたが、池田は有能な大蔵官僚であっても政治家としては駆け出しで、発言に脇の甘さが目立ちました。
1950年12月7日の参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見を質したのに対し、池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくりましたが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激してしまいました。
翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言のように伝わってしまい、各方面から強い批判を受けることになりました。



中小企業の五人や十人…

2年後の第三次改造内閣で池田は通産大臣になっていました。1952年11月27日の衆院本会議で右派社会党の加藤勘十の質問に対し、池田は「正常な経済原則によらぬことをやっている方がおられた場合において、それが倒産して、また倒産から思い余って自殺するようなことがあっても、お気の毒でございますが、止むを得ないということははっきり申し上げます」と答弁しました。
これに対して野党からは「中小企業を倒産させてよいのか」というヤジと怒号が飛び、議場は一時騒然となりました。翌日の新聞はまたしても「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」とこれを報道しました。
これを受けて野党が提出した池田通産相不信任案が自由党反主流派の欠席によって可決されると、池田は辞任に追い込まれました。

1960年11月20日の第29回総選挙に先立っては自ら自民党のテレビCMに登場して、本音しか言えない池田というイメージを逆手に取って「私はウソは申しません」と言い切りました。これらいずれもが当時の流行語となり、これが世論を背景にした政権運営という新しいスタイルに先鞭を付けるものともなったと言われています。

このようにいろいろと流行語を残した池田勇人は、冒頭に申し上げましたように、48年前の今日、1964年10月25日に、辞任しました。東京オリンピックの閉会式の翌日のことでした。理由は、病気療養のためでした。
池田は(喉頭)癌に侵されていたのです。
それから1年も経たない1965年(昭和40年)8月13日、術後肺炎により死去しました。65歳でした。


さて、「貧乏人は麦を食え」をスペイン語にする場合どうしたら良いのでしょうか。Los pobres deben comer más cebada que arroz. でしょうか、それとも、Los pobres deben comer sólo cobolla. などと意訳すべきでしょうか。



ご意見、ご質問等ございました<ernestotaju@yahoo.co.jp へ。

暴言で読む日本史-【電子ブック版】
暴言で読む日本史-【電子ブック版】
価格:619円(税込、送料込)
【送料無料】池田勇人 [ 藤井信幸 ]
【送料無料】池田勇人 [ 藤井信幸 ]
価格:3,150円(税込、送料別)