小林秀雄に言わせると 歴史に「もし...」はないとのことですが、もし この詔書が発せられておらずんば、東京タワーは江戸タワー、羽田や成田の空港は江戸空港、東京闘牛の会(次の foto の Ernesto Mr. T 以外の3人。他の会員は不明。)は江戸闘牛の会だっのかもしれないのであります。
なお、長らく行方の分からなかったこの草稿は 3年前(2010年)の5月に、廿日市市の海の見える杜美術館で発見されました。
明治半ば辺りまでは、トウケイと呼ぶ人もいたそうです。そのまま、トウケイが用いられて続けていたら、トウキョウ闘牛の会は闘鶏闘牛の会という紛らわしい名称になっていたかもしれません。(闘鶏は昔日本でもあちこちで観られたのですか、いつの間にか廃れてしまいました。)
話が脱線に脱線を繰り返しているようですので、最後に 改称1年後 1869年当時の 東京の pintura を載せて、この稿を終了することと致しましょう。