En el año 1956, Ron Kovic disfruta de una infancia feliz en las afueras de Nueva York. Tras terminar sus estudios se enrola en los Marines e irá al Vietnam. Allí se encontrará con una guerra muy diferente de lo que se imaginaba. La cruel batalla le dejará paralizado de pecho para abajo, fatalidad que le sumirá en un largo recorrido de desesperación y degradación.
1946年7月4日にアメリカ合州国の独立記念日に生を受けたロン・コービックは、ロングアイランド州マサピークアでその少年時代を送っておりました。ケネディ大統領の、自由の存続と繁栄についての演説の中、7歳のロンは、野球に夢中になる一方、戦争ごっこにその愛国心を芽生えさせていました。すっかりスポーツマンに成長した高校時代のロンは、ある日学校にやってきた海兵隊の特務曹長の言葉に感銘を受け、プロムの夜、憧れていたドナとのダンスの思い出を胸に、1964年9月、子供の頃からの夢であった海兵隊に入隊しました。そして13週間の訓練を経て、ロンはベトナムの戦場に身を投じました。1967年10月、軍曹になったロンは、激しい銃撃戦の後、部下を率いて偵察に出掛け、誤まってベトナムの農民を惨殺してしまったことを知り、衝撃を受けます。そしてこの混乱に乗じて襲いかかかってきたベトコンの姿にパニックに陥ったロンは、部下のウィルソン伍長を射殺してしまいました。罪の意識に嘖まされるロンに、上官は口外を禁じるのでした。そして1968年1月、激しい攻防の最中、ロンはベトコンの銃弾の前に倒れ、下半身不随の重傷を負ってしまったのです。ブロンクス海兵病院に運び込まれたロンは、怪我をしても人間らしい扱いをしてもらえないここでの苛酷な現実に、ただ絶望感を募らせるだけでした。1969年、故郷のマサピークアに戻って来たロンはは家族に温かく迎えられますが、ベトナム戦争を批判し、反戦デモを繰り広げている世間の様相に大きな衝撃を受けました。この年の独立記念日に、在郷軍人会主催の集会の壇上に立ったロンは、戦場のトラウマが蘇りスピーチを続けることができません。ロンはシュラキース大学にドナを訪ねますが、彼女も反戦運動に加わっていました。世間の冷たい風当たりに、ロンは次第に酒に溺れ、両親の前でも乱れ続けるました。苦しみから逃れるように、翌1970年にメキシコに渡ったロンは酒と女で孤独を紛らわせようとします。しかしここで知りあったチャーリーの厳しい言葉に目が覚めたロンは、自堕落な生活と訣別し、ウィルソンの両親を訪ね罪を詫びますが、返ってきたのは優しい慰めの言葉でした。1972年、苦しみの中で人生の意味を誰よりも強く知ったロンは、反戦運動の先頭に立ち、マイアミのニクソンを支持する共和党大会に乗り込み、戦争の悲惨さを訴えるのでした。そして1976年、自らの戦争体験を綴った『7月4日に生まれて』という本を出版し、大反響を呼び、その年の民主党大会で彼は演説をするため、その壇上に立ったのです。