2012年6月27日水曜日

ポチョムキンの叛乱(1905) El acorazado Potemkin ウクライナ Україна Ucrania

1905年の今日、6月27日(ユリウス暦6月14日)にロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起しました。


ソ連時代、ポチョムキンの叛乱は革命の神話にされていました。この題材を扱った最も重要な芸術作品はセルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』(原題に従えば『装甲艦ポチョムキン』)です。この映画は、実際のポチョムキンの叛乱20周年である1925年に、わずか3ヶ月というハードなスケジュールで撮影されました。この年の春、ロシア第一革命20周年記念映画として映画『一九〇五年』の撮影依頼がエイゼンシュテインにあり、これが製作の過程でポチョムキンの叛乱にスポットライトを当てた形で完成させることになったのです。しかし、撮影班が映画の舞台となる艦船を探していたときにはすでにポチョムキンは艦上の設備を撤去されて撮影に使用できる状態になく、また似た形の艦船もバルト艦隊や黒海艦隊のどこにも残っていませんでした。撮影班は苦心の結果、ポチョムキンより古い型の装甲艦十二使徒が機雷倉庫として使われているのを発見し、陸が映らないようつねに海側を背景に撮影するという工夫をしてこれを撮影に使用しました。この船には いつ爆発するか分からない危険な機雷が搭載されており、撮影は常に静粛を求められました。この他、ポチョムキンと同じ頃に建造された巡洋艦コミンテルンが撮影に使用されました。ポチョムキンの全体が映る場面は、モスクワのサンドゥーノフ公衆浴場の「ムーア人風」の水泳プールに浮かべた模型が用いられました。

ポチョムキンの叛乱とその映画は、オランダで1933年に発生したデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンの叛乱事件に影響を与えました。この叛乱に参加した水兵らは、彼らが映画『戦艦ポチョムキン』から影響を受けたと証言しています。

この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」と言われる約6分間の場面で、「映画史上最も有名な6分間」と言われています。特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』などの映画でも引用されています。しかし、史実によると「オデッサの階段での虐殺事件」というものは存在していないようです。

因みに、オデッサのこの階段は、今ではソ連から独立したウクライナ Україна のものです。最近 Ernesto Mr. T の blog にウクライナからの visita がかなりあるので付け加えておきました。

Ernesto Mr. T も一度だけ Ucrania を訪れたことがあります。1986年の夏の、まだ Ernesto Mr. T が 30 代の頃のことです。いつかまた、そのお話もしたいと思っています。

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