Hoy en 1830 murió ANTONIO JOSE DE SUCRE. 1830年の今日、6月4日にラテン・アメリカの英雄 スクレが、35歳の若さで、亡くなりました。
アントニオ・ホセ・デ・スクレ(Antonio José de Sucre,
1795年2月3日 -
1830年6月4日)は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家で、第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上
の初代)ボリビア大統領となりました。シモン・ボリバルの部下で良き理解者としても知られています。
ベ
ネズエラ東部のクマナで生まれ、スペイン領アメリカの独立戦争の勃発とともに独立派の軍に入り、士官としてベネズエラ東部で戦歴を重ねました。1819年
に准将になり、1820年にはスペイン軍とコロンビア(大コロンビア)軍の休戦にあたって戦争規制条約を結びました。1821年にエクアドルの独立派の救
援に赴き、翌年ピチンチャの戦いでこの地のスペイン軍を破りました。1823年からはペルーの独立派を援け、1824年にアヤクチョの戦いで南米独立戦争
の最終的な勝利を決しました。この戦功で大元帥になりました。シモン・ボリバルとともにボリビアの建国にあたり、1826年から1828年まで同国の大統
領を務めました。1828年に当時コロンビア領だったキトに住み、ペルー軍の侵攻をタルキの戦いで阻止しました。1830年にコロンビアの国会議長になり
ましたが、同年に暗殺されてしまいました。享年35。ご意見、ご質問等ございましたら、 右記メールへ。