2012年6月4日月曜日

アントニオ・ホセ・デ・スクレ Antonio José de Sucre

Hoy en 1830 murió ANTONIO JOSE DE SUCRE. 1830年の今日、6月4日にラテン・アメリカの英雄 スクレが、35歳の若さで、亡くなりました。

アントニオ・ホセ・デ・スクレAntonio José de Sucre, 1795年2月3日 - 1830年6月4日)は南アメリカの諸国をスペインから独立に導いた軍人、政治家で、第二代(初代はシモン・ボリバルが名目的な立場のみだったので事実上 の初代)ボリビア大統領となりました。シモン・ボリバルの部下で良き理解者としても知られています。
ベ ネズエラ東部のクマナで生まれ、スペイン領アメリカの独立戦争の勃発とともに独立派の軍に入り、士官としてベネズエラ東部で戦歴を重ねました。1819年 に准将になり、1820年にはスペイン軍とコロンビア(大コロンビア)軍の休戦にあたって戦争規制条約を結びました。1821年にエクアドルの独立派の救 援に赴き、翌年ピチンチャの戦いでこの地のスペイン軍を破りました。1823年からはペルーの独立派を援け、1824年にアヤクチョの戦いで南米独立戦争 の最終的な勝利を決しました。この戦功で大元帥になりました。シモン・ボリバルとともにボリビアの建国にあたり、1826年から1828年まで同国の大統 領を務めました。1828年に当時コロンビア領だったキトに住み、ペルー軍の侵攻をタルキの戦いで阻止しました。1830年にコロンビアの国会議長になり ましたが、同年に暗殺されてしまいました。享年35。





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