2012年8月28日火曜日

ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe


外(国)語を知らない者は自分自身の言語について何も知らない
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科学者、政治家、法律家です。ドイツを代表する文豪であり、小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残しました。
その文学活動は大きく3期に分けられます。初期のゲーテはヘルダーに教えを受けたシュトゥルム・ウント・ドラングの代表的詩人であり、25歳のときに出版した『若きウェルテルの悩み』でヨーロッパ中にその文名を轟かせました。その後ヴァイマル公国の宮廷顧問(その後枢密顧問官・政務長官つまり宰相も勤めました)となりしばらく公務に没頭しますが、シュタイン夫人との恋愛やイタリアへの旅行などを経て古代の調和的な美に目覚めていき、『エグモント』『ヘルマンとドロテーア』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などを執筆、シラーとともにドイツ文学における古典主義時代を築いていきました。
シラーの死を経た晩年も創作意欲は衰えず、公務や自然科学研究を続けながら『親和力』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『西東詩集』など円熟した作品を成しました。大作『ファウスト』は20代から死の直前まで書き継がれたライフ・ワークです。ほかに旅行記『イタリア紀行』、自伝『詩と真実』や、自然科学者として「植物変態論」『色彩論』などの著作も残しています。

Johann Wolfgang von Goethe ( 28 de agosto de 1749, en Fráncfort del Meno, Hesse, Alemania – 22 de marzo de 1832, en Weimar, Turingia, Alemania) fue un poeta, novelista, dramaturgo y científico alemán que ayudó a fundar el romanticismo, movimiento al que influenció profundamente. En palabras de George Eliot fue "el más grande hombre de letras alemán... y el último verdadero hombre universal que caminó sobre la tierra". Su obra, que abarca géneros como la novela, la poesía lírica, el drama e incluso controvertidos tratados científicos, dejó una profunda huella en importantes escritores, compositores, pensadores y artistas posteriores, siendo incalculable en la filosofía alemana posterior y constante fuente de inspiración para todo tipo de obras. Su apellido da nombre al Goethe-Institut, organismo encargado de difundir la cultura alemana en todo el mundo.
日本では1871年(明治4年)に初めてゲーテの名が紹介されましたが、本格的な受容が起きたのは明治20年代からです。作品の翻訳は1884年(明治17年)、井上勤が『ライネケ狐(Reineke Fuchs)』を『狐裁判』として訳したものが最初で、この訳は当初自由出版社から出されていましたが1886年(明治19年)に版権が春陽堂に移って新たな初版が出され、1893年(明治26年)までに5版が出るほどよく読まれました。1889年(明治22年)には森鴎外が訳詩集『於母影』においてゲーテの詩を翻訳し、特にその中の「ミニヨン」の詩は当時の若い詩人たちに大きな影響を与えました。鴎外はゲーテを深く尊敬しており、『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』の翻訳や『ファウスト考』『ギョッツ考』などの論考を著し、1913年(大正2年)には日本初の『ファウスト』完訳を行なっています。
日本では明治20年代から30年代にかけては若手作家の間で「ウェルテル熱」が起り、島崎藤村、平田禿木、戸川秋骨、馬場孤蝶ら『文学界』同人の作家を中心に『若きウェルテルの悩み』が熱心に読まれました。特に島崎藤村は晩年までゲーテを愛読しており、随筆『桃の雫』(1936年)の中でゲーテに対する長年の思いを語っています。外国文学に批判的だった尾崎紅葉も晩年にはゲーテを熱心に読み、「泣いてゆく ヱルテルに会う 朧かな」を辞世の句として残しました。また『ウェルテル』と並んで『ファウスト』も若い作家の間で熱心に読まれていました。文壇に「ウェルテル熱」が起る前に早世した北村透谷は『ファウスト』を熱心に読んでおり、『蓬莱曲』などの作品を書く上で大きな影響を受けています。倉田百三は代表作『出家とその弟子』を書く際、鴎外訳の『ファウスト』から様々な影響を受けたことを語っており、国木田独歩も『ファウスト』を熱心に読み影響を受けたことを『欺かざるの記』のなかで繰り返し述べています。他にゲーテを愛読しゲーテについての著述を残している者に長与善郎、堀辰雄、亀井勝一郎などがいます。
1931年(昭和6年)には日本ゲーテ協会が創設され、ドイツ文学の研究・紹介を行っています。また関西ゲーテ協会の主催で毎年ゲーテの誕生日の夜に「ゲーテ生誕の夕べ」が開催されており、そこではゲーテにちなんだ歌謡のコンサートや講演が開かれています。1964年(昭和39年)には実業家粉川忠によって東京都北区に東京ゲーテ記念館が立てられており、日本語の翻訳本や原著だけでなく世界中の訳本や研究書、上演時の衣装などを含む関連資料を所蔵する世界的にも類例のない資料館となっています。
Ernesto Mr. T も フランクフルトに滞在した際は、ビールとソーセージだけでなく、ゲーテ博物館などを訪れました。

最初に挙げた、Ernesto Mr. T が授業などでよく引用する言葉
外(国)語を知らない者は自分自身の言語について何も知らない。
は『箴言と省察II』に出て来るものです。原語では、
    Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von seiner eigenen. - Maximen und Reflexionen; II.; Nr. 23, 91 
スペイン語および英語で言えば、それぞれ
"Quien no conoce un idioma extranjero no conoce su propio idioma."
"Those who know nothing of foreign languages know nothing of their own."
といったところでしょうか。

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