今日は アントワーヌ・ジャン=バティスト・マリー・ロジェ、コンテ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger comte de Saint-Exupéry)が亡くなった日です。1900年6月29日 - 1944年7月31日なのです。
日本でも『星の王子さま』はあまりにも有名です。
« Le plus important est invisible » 「一番大切なものは、目に見えないのさ」
というような言葉の詰まった哲学書と言っても良いでしょう。ムーミンも敵わないくらいです。
上記のような絵も人気の秘密でしょう。
この本はニューヨークでは1943年4月にレイナランド・ヒッチコック社から英語訳(『The Little Prince』)とフランス語版(『Le Petit Prince』)が、フランスでは死後の1945年11月にガリマール社から出版されました。実際に発売されたのは1946年になってからだとガリマール社は主張しています。多くの誤植と原画に忠実とは言えない挿絵でしたが、1999年になってガリマール社が誤りを認め、誤植や挿絵を修正しました。Saint-Exupéry 自身で描いた素朴な挿絵も長く愛されています。
日本では主として翻訳を行った内藤濯の解釈に基づく以下のような通説が長らく支配的な説でした。しかし後述の異説が提示され、立場はかなり揺らいでいます。
作品の冒頭「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」とあるように、この作品は、子供の心を忘れてしまった大人に向けたものである。王子が訪れた小惑星で出会うのは、いずれも愚かさを風刺化された大人たちであるし、子供の心を持ち続けようとする「ぼく」も、飛行機の修理に夢中になるあまりに、王子の話をぞんざいに聞いてしまったりする。また、別の場面に登場する、何をするにつけても急ぎ、どこに行くかもよく理解しないまま特急列車であちこちに移動したり、時間を節約することにあくせくして、節約した時間で何をするかを考えていなかったりという大人たちの姿も、作者による痛烈な批判である。
キツネとの対話は、この作品の重要な場面である。あるものを他と違っていとしく思うことができるのはなぜなのか。自分の愛情の対象であった小惑星やバラへの自信を失って悩む王子に対して、キツネは「仲良くなる」とはどういうことかを通じて、友情、ひいては愛情(人間愛ではなく恋愛的な意味での愛情)についてを語ることになる。「大切なものは、目に見えない」という作品上の重要な台詞が登場するのもこの場面である。この台詞に基づく考えは後にも登場し、「砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠しているから」、さらには「夜空が美しく見えるのは、そのどこかに王子が今もバラと暮らしているから」という考え方に繋がるのである。
「星の王子さま」の最後のシーンでは、「ぼく」の最後ははっきりとは描かれていない。そして、作者のサン=テグジュペリ自身は、敵軍の偵察に向かうため飛行機で基地を飛び立ったまま消息を絶ち、二度と戻って来なかったのである。
これに対し、塚崎幹夫の「星の王子さまの世界~読み方くらべへの招待」(中公新書) などでは、「ヨーロッパで戦争に巻き込まれて辛い思いをしている人々への勇気づけの書」であると解釈しています。エピソードの多くは具体的な背景を持つと言うのです。
3本のバオバブの木を放置しておいたために破滅した星☞ドイツ・イタリア・日本の枢軸側の3国に適切な対応をしなかったため、第二次世界大戦を引き起こした国際社会。
まさか日本が批判されているとは 若き Ernesto Mr. T は思いもしませんでした。
501622731☞ 5億162万2731という妙に直截な数字は、第二次世界大戦を引き起こした国民の合計。その前の数字の足し算は、第二次大戦に加担した人間が増えるさまを克明に記録。その数字に対してわざわざ「私は細かいんだ!(大久保訳)」という台詞を附しているのも、この戦争に巻き込んだ全ての国に対する憎悪。
Saint-Exupéry 自身が亡くなった今となっては謎ですが、いろいろな解釈ができる本であることも人気の秘密でしょう。想像力を刺激してくる本です。
また日本では数多の種類の翻訳が出ていますが、加藤 晴久のようにどの訳本にも誤訳続出だと主張する人もいます。
そもそも原題の Le Petit Prince には「星の」なんて形容詞さえついていませんしね。
Le Petit Prince の話題はいまだに世界中で尽きることがないようです。
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