いつか visita があればいいのになあ、と思っていた ラトビア から今日初めて この blog に visita がありました。それも一度に 28 visitas です。
Ernesto Mr. T はこの国に 一度しか訪れたことはありませんが、強烈な印象が残っています。1980年の夏、生まれて初めての海外旅行のときのことです。
レニングラード大学のロシア語講座に参加したときのことです。首都リガの町を散歩してロシア語の練習をしようとしたのですが、町の人たちはこちらが話しかけても知らぬ顔をして応じてくれませんでした。
ところがです。ロシア語を止め、英語で話しかけた途端、皆ニッコリし始めたのです。ラトビアは当時ソ連の一員だったのですがロシア大国(¿ロシア語帝国?)主義を良く思っていないことが直ぐに分かりました。「できれば次はラトビア語で話しかけてください、あなたは ロシアではなく ラトビアに来ているのですから」と言われたのです。
「ロシア語よりは英語の方がましということかもしれませんが、英語も結局は帝国主義的言語だから、たとえ観光であれ 地元の言語で話をするのが礼儀でした」と Ernesto Mr. T は(残念ながらラトビア語を全く知らなかったので英語で)謝りました。
『エスペラントでも良いけどね」と言ってくれる人もいたので、「Dankon (ありがとう)」と拙いエスペラント語で何とか答えたものでした。
因みに、「ありがとう」はラトビア語では Paldies. です。発音は以下のサイトにあります。
<http://www.asahi-net.or.jp/~ut5m-nmtm/latvia/lang/arigatou.wav>
因みに、「ありがとう」はラトビア語では Paldies. です。発音は以下のサイトにあります。
<http://www.asahi-net.or.jp/~ut5m-nmtm/latvia/lang/arigatou.wav>
あれから 32 年が経ちますが、いまだ ラトビア再訪は果せていません。死ぬまでにもう一度訪れたい国の一つです。