2012年7月12日木曜日

Pablo Neruda 生誕108年

Se cumplen hoy el 12 de julio 108 años del nacimiento del poeta chileno Pablo Neruda, premio Nobel de literatura, quien fue también diplomático de su país y murió días después de la revolución depuso al presidente Salvador Allende.

詩人 Pablo Neruda (1904年7月12日 - 1973年9月23日)は、Chile チリの国民的英雄でした。初め Neruda は筆名で、本名は Ricardo Eliecer Neftalí Reyes Basoalto でした。チェコの詩人 Jan Neruda ヤン・ネルダから筆名を取ったのですが、後にこれを本名としました。

Neruda はバスク系チリ人です。1934年、外交官としてスペインに赴任した際にスペイン内戦を目の当たりにして共産主義に接近し、人民戦線とスペイン共和国を支援しました。1945年には上院議員に当選、同時にチリ共産党に入党しましたが、1948年に Videla 政権によって共産党が非合法化されたため、国外逃亡を余儀なくされました。

1958年に共産党は再び合法化されました。1970年の大統領選挙では、一時共産党から大統領候補に推されましたが辞退し、社会党の Salvador Allende が左派統一候補として立候補し当選しました。その結果、チリに世界で初めて民主的に選挙によって社会主義政権が誕生したのです。Neruda は Allende 政権から駐仏大使を任命され、在任中の1971年にノーベル文学賞を受賞しましたが、ガンを患ったため1972年に大使を辞任してチリに帰国しました。

翌1973年9月11日に Allende 政権が Pinochet のクーデタによって滅ぶと、軍事政権は Neruda の家に押し入り、調度品を破壊し蔵書を破り捨て、徹底的に家を破壊しました。Neruda はこのことで絶望し、病状は急激に悪化したと言われています。クーデタの12日後、Neruda は危篤状態に陥り、病院に向かいましたが、途中の軍の検問で救急車から引きずり出されるなどして、病院に着いたときには亡くなっていました。「Neruda は病気で死に、クーデターで魂を殺された。Neruda は二度死んだのだ」とチリでは言われています。



Neruda が属していたチリ共産党は2011年5月、海外でのクーデタ反対の活動阻止を狙った軍部による「毒殺」の疑いがあるとしてサンティアゴの控訴裁判所へ告訴状を提出しました。
Neruda の代表作はチリの自然の美しさをうたった ALTURAS DE MACCHU PICCHU 「マチュピチュの高み」でしょう。邦訳も何種類かあります。原詩は以下のサイトで読むことができます。

<http://www.angelfire.com/co2/coditos0/macchupicchu.html>


アメリカのベトナム戦争でのやり口を批判した Incitación al Nixonicidio y alabanza de la revolución chilena「ニクソンサイドのすすめ(とチリ革命の称賛)」があります。Nixonicidio「ニクソンサイド」は虐殺の意味の genocidio ジェノサイドとニクソン大統領をかけた造語です。原詩は以下のサイトで読むことができます。

<http://neruda.blogia.com/temas/incitacion-al-nixonicidio-y-alabanza-a-la-revolucion-chilena.php>

南米では Ernesto Che Guevara と同様に左派の英雄の一人となっています。

また、Gabriel García Márquez は "el más grande poeta del siglo XX en cualquier idioma" (いかなる言語の中でも20世紀の最高の詩人) と称えています。

Neruda の Italia 時代を描いた映画、Il Poatino / El cartero de Neruda / The Postman の clips を最後に載せておきます。



ご意見、ご質問等ございましたら、 <ernestotaju@yahoo.co.jp>  へ。