本日はオーソン・ウェルズ(George Orson Welles, 1915年5月6日 - 1985年10月10日)の命日です。
オーソン・ウェルズはスペインを愛した男でした。特にシェリー酒が好きでしたが、今日は ドン・キホーテの話です。
『ドン・キホーテ』の最初の企画は、CBSテレビのための30分の映像でした。1955年のことです。ウェルズは、セルバンテスの小説通りの移植ではなく、時代錯誤そのもののドン・キホーテとサンチョ・パンサのキャラクターを現代に持ち込むことにしました。インタビューの中で自らのアイデアを「俺のドン・キホーテとサンチョ・パンサは、セルバンテスからそのまま伝統的に引っぱってきたものだが、にもかかわらず現代的だ」と語っていました。
ウェルズはドン・キホーテ役のミッシャ・オウアのテスト映像を撮影しましたが、未編集フィルムを見たCBSの代理人は、ウェルズのコンセプトを気に入らず、企画を中止しました。ウェルズは、ドン・キホーテの企画を長編映画に拡張して進めることを決めました。歌手・俳優のフランク・シナトラはこの新しい映画に2万5千ドルを投資し、ウェルズ自身も役者としての収入から追加の自己投資を行いました。
1958年、ウェルズは長編版の『ドン・キホーテ』の制作のためにメキシコシティに向かいました。ドン・キホーテ役にスペイン人俳優フランシスコ・レイグエラ、サンチョ・パンサ役にはエイキム・タミロフを起用しました。タミロフは以前にもウェルズの映画『Mr.アーカディン』に出演していました。また子役としてパティ・マコーマックを、メキシコシティを訪れるアメリカ人の少女役で起用しました。少女の滞在中、ウェルズ(自身を演じる)と出会い、それからドン・キホーテとサンチョ・パンサに出会うという役どころでした。
ウェルズは脚本を書き終わらないまま、街で即興のシークエンスを撮影する形で制作していきました。場面の多くは後で会話をダビングするつもりで、サイレントの16mmフィルム装備で撮影されました。製作が進む中で、ウェルズは映画批評家のアンドレ・バザンに対し、自分の『ドン・キホーテ』は即興スタイルのサイレント・コメディ映画として作られていると語っています。
しかし、製作は資金問題で中止を余儀なくされてしまいました。資金を得ると、ウェルズは撮影場所をスペインに変更しました。その間、子役だったマコーマックが成長してしまったので、マコーマック演じる少女のキャラクターは削除せざるをえませんでした。
1960年代を通し、ウェルズはスケジュールと資金が許す限り、『ドン・キホーテ』の断片的な撮影を行った。『審判』の製作後の作業中さえも、時間を見つけてシークエンスの撮影を行いました。ウェルズはドン・キホーテとサンチョ・パンサが現代に現れ、スクーター・飛行機・自動車・ラジオ・テレビ・ミサイルなどの発明品に困惑する、という表現を続けました。また、「新しい『ドン・キホーテ』の映画版に出演させるべくドン・キホーテとサンチョを雇う映画監督」の役として、ウェルズ自身の出番も増やしていきました。
ウェルズは、核戦争下でドン・キホーテとサンチョを生き延びさせて、ウェルズ版『ドン・キホーテ』を締めくくるつもりだったのですが、このシークエンスが撮影されることはありませんでした。
製作があまりにも延びたため、1960年代後半には病気が深刻化していたレイグエラは、ウェルズに体調が悪化する前に出演シーンを撮り終えるよう頼みました。ウェルズは、レイグエラのシーンを含めた全てのシーンを、レイグエラが1969年に死ぬまでに撮り終えることができました。
レイグエラの死後に撮影は終わったものの、ウェルズが『ドン・キホーテ』の完全版を送り出すことはありませんでした。企画の完了は果てしなく遅れ、ウェルズが企画のタイトルを『ドン・キホーテはいつ終わる?』(When Are You Going to Finish Don Quixote?)にしようか考えるほどでした。1985年に死去するまで、ウェルズは未完成の『ドン・キホーテ』を完成させると公然と語り続けていました。
1986年5月、『ドン・キホーテ』の断片フィルムが第39回カンヌ国際映画祭で初公開されました。これはシネマテーク・フランセーズの収集係によって集められた、45分ほどのシーンとアウトテイクでした。
1990年、スペインのプロデューサーのパトクシ・イリゴイェン(Patxi Irigoyen)と監督のジェス・フランコが、現存する『ドン・キホーテ』のフィルムに関する権利を得ました。多くのソースから素材が提供され、その中にはクロアチア人女優のオヤ・コダールや、ウェルズの映画版『オセロ』でデズデモーナ役を演じたカナダ人女優のシュザンヌ・クルーティエなどもいました 。
しかし、イリゴイェンとフランコはマコーマックの出演フィルムを得ることはできなかった。このフィルムには、騎士の戦いが出てくる映画を上映中の銀幕を、ドン・キホーテが破るシーンが含まれていました。このフィルムを所有していたのはイタリアの映画編集者マウロ・ボナンニで、コダールとフィルムの権利を巡って法廷で争いました。ボナンニはイリゴイェンとフランコの企画に所有するフィルムを加えることを拒みました。だが後に、ボナンニはイタリアのテレビでいくつかのシーンを放映することを許可しています。
ウェルズのフィルムを統合する際に、イリゴイェンとフランコはいくつかの問題に直面しました。35mm、16mm、スーパー16mmの3つの異なる形式のフィルムが使われており、画質がバラバラだったのです。上映されていなかったことも足かせとなりました。ウェルズは自身によるナレーションと主要な人物の対話が入った1時間のサウンドトラックを収録していましたが、フィルムの他の部分は無音だったのです。ウェルズの未完の作業で残された無音部分を埋めるべく、新しい脚本が作られ、声優があてられました。
イリゴイェンとフランコの作品は“Don Quixote de Orson Welles”(オーソン・ウェルズのドン・キホーテ)として、1992年カンヌ映画祭のプレミア上映されました。所見の反応の大部分は不評で、このバージョンがアメリカで劇場公開されることはありませんでした。2008年9月にアメリカで“Orson Welles' Don Quixote”として、イメージ・エンタテイメント(Image Entertainment)よりDVD版がリリースされました。
この DVD video を観ると「見果てぬ夢」という言葉が Ernesto Mr. T の心に浮かびました。
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