今日、10月7日は『青い山脈』の原作者石坂洋次郎の命日です。
『青い山脈』は1947年(昭和22年)6月から10月の『朝日新聞』に連載され、更に1949年(昭和24年)に映画化され大反響を博し、石坂洋次郎は「百万人の作家」と言われるほどの流行作家となりました。
作品中のラブレターの文「變しい變しい」(変しい変しい)[「戀しい戀しい」(恋しい恋しい)の誤り]は流行語にもなりました。
1966年、「健全な常識に立ち明快な作品を書きつづけた功績」が評価されて第14回菊池寛賞を受けますが、石坂自身は「健全な作家」というレッテルに反撥し、「私は私の作品が健全で常識的であるという理由で、今回の受賞に与ったのであるが、見た目に美しいバラの花も暗いじめじめした地中に根を匍わせているように、私の作品の地盤も案外陰湿なところにありそうだ、ということである。きれいな乾いたサラサラした砂地ではどんな花も育たない」と語りました。
この石原も1978年頃から認知症の症状が徐々に出始め、1980年ごろには徘徊や親族の顔の認識すら出来ない状態になっていたそうです。
加えて、体調も崩したため、長年住み慣れた田園調布の地を離れ、伊東市へ転居しました。
伊東では体調はかなり安定したようですが、1986年(昭和61年)の今日、10月7日に老衰(硬膜下出血)で死去しました。死の直前には「これでよし」と呟いたそうです。
1900年(明治33年)1月25日 生まれですから、享年86でした。
『青い山脈』の映画化は1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回なされましたが、以下に最も有名な1949年版と1963年版を載せておきます。
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