2013年1月13日日曜日

James Joyce の命日(1941年) それに Finnegans Wake など


今日1月13日は20世紀最大の作家の1人 James Joyce の命日であります。

ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce 1882年2月2日 – 1941年1月13日




前年(1940年)ナチス・ドイツによるフランス占領から逃れるべく、20年間暮らしたパリを後にし、チューリッヒへ帰還していた Joyce は、1941年1月11日、十二指腸潰瘍穿孔の手術を受けました。術後の経過は良好でしたが翌日には再発し、数度の輸血の甲斐もなく昏睡状態に陥ってしまいました。1月13日午前2時、眼を覚ました Joyce は再び意識を失う前に妻と子供を呼ぶよう看護婦に伝えますが、その15分後、家族が病院へ駆けつけている途中に息絶えてしまいました。

最後の大作 Finnegans Wake を執筆した2年後のことでした。

まだ 58歳でした。

埋葬されたチューリッヒのフリュンテン墓地は動物園の隣にあり、 Joyce の好きだったライオンの鳴き声が聞こえるのが彼の娘 Lucia の気に入ったからでした。

また、チューリッヒには Joyce の生涯の友 Frank Budgen がいました。次の写真は その Frank Budgen と知り合いになった1915年頃の写真であります。


死の2年前、1939年に完成された Finnegans Wake は、英語による小説ではありますが、各所に世界中のあらゆる言語(日本語を含む)が散りばめられ、「ジョイス語」と言われる独特の言語表現が見られます。また英語表現だけをとっても、意識の流れの手法が極限にまで推し進められ、言葉遊び、二重含意など既存文法を逸脱する表現もたくさん使われています。『若き芸術家の肖像』以来の神話的世界と現代を二重化する重層的な物語構成と相俟って、ジョイスの文学的達成の極と評価されています。

次の video は James Joyce 自身による Finnegans Wake の朗読です。


この Finnegans Wake は、日本語への翻訳は不可能とも言われていましたが、その完訳が まず 柳瀬尚紀氏によりなされました。

出版社は 河出書房新社で1991年に『フィネガンズ・ウェイク』<I・II>を、1993年に<III・IV>を刊行しました。その後 2004年に同社で文庫化(3分冊)されました。

また、2009年4月には、浜田龍夫による「フィネガンズ・ウェイク」の「パート1と4」の全訳が発表され(Abiko Literary Press、略称ALP)、さらに昨年(2012年)10月に「フィネガンズ・ウェイク」の「パート2と3」の全訳が同様に発表されました。これはフィネガンズ・ウェイク研究の英文誌Abiko Annualにまず発表したものを、さらに補完したもので、ジョイスが脳裏に描いた原風景をまず明らかにする目的で原文を読み、FweetやCensus等を参考にして訳者の理解した内容を忠実に平易な日本語に翻訳したものです。

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P.D. 以下も参照あれ。

Bloomsday スペイン語のユリシーズ Ulises