今日はアメリカ合州国の小説家・劇作家シンクレア・ルイスの命日です。
Harry Sinclair Lewis ( 1885年2月7日 - 1951年1月10日)。
米国中西部の田舎町を舞台とした、典型的な白人男性中心の中流社会像を辛辣な皮肉を込めて活写した社会風刺的作品で世界的な名声を得ました。日本でも多くの作品が翻訳出版されました。
Harry Sinclair Lewis (Sauk Centre, Minnesota, 7 de febrero de 1885 - Roma, 10 de enero de 1951) fue un escritor estadounidense. Sus novelas son una sátira de la burguesía y de sus inquietudes mercantiles y religiosas. Fue el primer escritor estadounidense en obtener el Premio Nobel de Literatura (en 1930).
(Yale)大学時代から学内誌に自作の空想詩や掌篇小説を発表していました。
卒業後は雑誌や新聞の編集者および執筆者の職についたり、--- Jack London などに小説のプロットを売却したこともあります---、児童向け冒険活劇風の三文小説 を出版したりして糊口をしのぎながらも、着々と文才を磨いていきました。
1914年に Our Mr. Wrenn という作品を初めてシンクレア・ルイス名義で出版しました。次の写真は、その1914年のものです。
その後、数点の単行本と雑誌連載小説を執筆しました。
1920年に出版した『本町通り』Main Street が翌年1921年にピューリッツァー賞の小説部門で一旦はトップ受賞をしましたが、選考委員会の審議により白紙撤回されてしまいました。
1923年には『バビット』Babbitt (前年1922年出版)に大いに期待が持たれたが、結局受賞には至りませんでした。
1926年に『アロウスミスの生涯』Arrowsmith (前年1925年出版)で遂にピューリッツァー受賞を果たしますが、ルイスは「たった1つの作品や作家が他を差し置いて賞讃されるような、そんな抗争の場には共感しない」とし、同賞を辞退した最初の人物となりました。
1930年、アメリカ人として初のノーベル文学賞を授与されました。受賞後の基調講演では、伝統的なアメリカ的価値観を功罪構わず無節操に賞揚するアメリカ文学界全体の現状を嘆きつつ、ドライサー、キャザー、ヘミングウェイらを始めとした、彼らと同世代の作家たちを賞讃しています。
多くの作品が舞台化・映画化されています。日本でもいまだに『エルマー・ガントリー』など幾つかの作品がDVDで入手できます。
「コスモポリタン」誌に掲載された Little Bear Bongo (1936年)がディズニーによってアニメ化されたこともあります。
1951年の今日・1月10日に重度のアルコール中毒の為にイタリアのローマにて死去しました。65歳でした。遺灰は故郷ミシシッピー州のSauk Centreに埋葬されました。
Sinclair Lewis falleció a causa de su avanzado alcoholismo el 10 de enero de 1951 en Roma; sus restos fueron repatriados y enterrados en su ciudad natal.