堀口大学はスペインで凡そ2年半過ごしたことがあるのです。1914年7月から1917年1月までのことでした。22歳から25歳までの青春のまっただ中の時期でした。
いつ著したものか分かりませんが、以下のような色紙が残っています。「エスパニヤ アンダルシャのたをやめはぼたんに似たり夕月夜かな」
堀口大学は『ドン・キホーテ』の翻訳もしています。全編ではなくて前編、つまり第1部のみですが。
残念なことは、父・九萬一とは違い、toros 闘牛に余り興味を示しませんでした。
Madrid で会った マリー・ローランサン Marie Laurencin と恋に陥りました。ただし、ローランサンの方が4つ年上で ローランサン の愛人のようなものだったと堀口大学本人が述べています。「日本の鶯」と呼ばれていたそうです。
ローランサンによるフランス語の原詩は不明ですが、堀口大学による訳詩は以下の通りです。
この鶯 餌はお米です
歌好きは生まれつきです
でもやはり小鳥です
わがままな気紛れから
わざとさびしく歌います
因みに、当時 堀口大学は結核を患っていました。
堀口大学に関しては話は尽きませんが、冗長になるといけませんので また いつかの機会に譲ることにしましょう。Hasta entonces.
Horiguchi Daigaku
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英語は通じない