1942: fuerzas del Japón ocupan Birmania durante la Segunda Guerra Mundial.
当時のことを題材にした有名な作品に竹山道雄の『ビルマの竪琴』があります。
雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載され、現在では文庫本などでも読むことができます。
また、市川崑監督によって2回(1956年と1985年)映画化され、海外でも評判となりました。
1956年版の映画についてです。
The Burmese Harp (ビルマの竪琴 Biruma no tategoto Harp of Burma) is a 1956 black-and-white Japanese film directed by Ichikawa Kon 市川崑. It was based on a children's novel of the same name written by Takeyama Michio 竹山道雄. It was Ichikawa's first film to be shown outside Japan, and is "one of the first films to portray the decimating effects of World War II from the point of view of the Japanese army." The film was nominated for the 1957 Academy Award for Best Foreign Language Film, during the first year that such a category existed.
In 1985, Ichikawa remade the film in color with different actors.
Private Mizushima (Yasui Shoji 安井昌二), a Japanese soldier, becomes the harp (or saung) player of Captain Inoue's (Mikuni Rentarō 三国連太郎) group, composed of soldiers who fight and sing to raise morale in World War II Burma Campaign. When they are offered shelter in a village, they eventually realize they are being watched by British soldiers. They successfully retrieve their ammunition, then see the advancing force. Instead of firing at them, though, the enemy soldiers begin singing. They learn that the Japanese surrender has occurred and they surrender.
At a camp, a British captain asks Mizushima to talk down a group of soldiers who are still fighting on the mountain. He agrees to do so and is told by the British that he has 30 minutes to tell them to surrender. At the mountain he is almost shot down before they realize he is Japanese. He climbs up and asks to speak to whoever is in command. He informs their commander that the war has ended and they should surrender. The commander says he shall talk to the other soldiers, and they come out minutes later stating that unanimously they decided to fight to the end. Mizushima begs for them to surrender but they do nothing. He decides to ask for more time from the British. When he creates a surrender flag, the others take it the wrong way and believe he's surrendering for them. They beat him unconscious and leave him on the floor. The cave is bombarded, and he becomes the only survivor. He steals a monk's robe so that he will not be spotted as a soldier, and wanders around looking for the camp his group was in. Finding many unburied corpses of dead Japanese soldiers, he decides to bury them.
Meanwhile, Captain Inōye and his men are wondering what happened, and cling to a belief that he is still out there. Eventually they buy a parrot (saying "Mizushima, let's go back to Japan together" over and over again) and tell a villager to take it to a monk they suspect is Mizushima in hiding. But the parrot is returned with a long letter replying that he refuses to go back to Japan with them, because he must continue burying the dead while studying as a monk, and promoting the peaceful nature of mankind. Years later however, he allows for the prospect of returning to Japan.
原作本の粗筋です。
1945年7月、ビルマ(現在のミャンマー)での日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていました。物資や弾薬、食料は不足し、連合軍の猛攻になす術がありませんでした。
そんな折、日本軍のある小隊では、音楽学校出身の隊長が隊員に合唱を教え込んでいました。隊員たちは歌うことによって隊の規律を維持し、辛い行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めていました。彼ら隊員の中でも水島上等兵は特に楽才に優れ、ビルマ伝統の竪琴「サウン・ガウ」の演奏はお手の物でした。部隊内でたびたび演奏を行い、隊員の人気の的でした。さらに水島はビルマ人の扮装もうまく、その姿で斥候に出ては、状況を竪琴による音楽暗号で小隊に知らせていました。
やがて日本は無条件降伏します。小隊は捕虜となり、ムドンの捕虜収容所に送られ、労働の日々を送ります。しかし、山奥の「三角山」と呼ばれる地方では降伏を潔しとしない小隊がいまだに戦闘を続けており、彼らの全滅は時間の問題でした。彼ら日本軍を助けたい隊長はイギリス軍と交渉し、降伏説得の使者として、竪琴を携えた水島が赴くことになりました。しかし、彼はそのまま消息を絶ってしまったのです。
収容所の鉄条網の中、隊員たちは水島の安否を気遣っていました。そんな彼らの前に、水島によく似た上座仏教の僧が現れました。彼は、肩に青いインコを留らせていました。隊員は思わずその僧を呼び止めましたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去ってしまいました。
大体の事情を推察した隊長は、親しくしている物売りの老婆から、一羽のインコを譲り受けます。そのインコは、例の僧が肩に乗せていたインコの弟に当たる鳥でした。隊員たちはインコに「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませました。数日後、隊が森の中で合唱していると、涅槃仏の胎内から竪琴の音が聞こえてきました。(Ernesto Mr. T は この場面は今でも気に入りません。)それは、まぎれもなく水島が奏でる旋律でした。隊員たちは我を忘れ、大仏の体内につながる鉄扉を開けようとしますが、固く閉ざされた扉は開きませんでした。
やがて小隊は3日後に日本へ帰国することが決まりました。隊員たちは、例の青年僧が水島ではないかという思いを捨てきれず、彼を引き連れて帰ろうと毎日合唱しました。歌う小隊は収容所の名物となり、柵の外から合唱に聞き惚れる現地人も増えましたが、青年僧は現れませんでした。隊長は、日本語を覚えこませたインコを青年僧に渡してくれるように物売りの老婆に頼みます。
出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱する。ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。彼はやはり水島上等兵だったのだ。隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。日本人の多くが慣れ親しんだその歌詞に「今こそ別れめ!(=今こそ(ここで)別れよう!)いざ、さらば。」と詠う別れのセレモニーのメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。
翌日、帰国の途につく小隊のもとに、1羽のインコと封書が届きました。そこには、水島が降伏への説得に向かってからの出来事が、克明に書き綴られていました。
水島は三角山に分け入り、立てこもる部隊を説得するも、結局その部隊は玉砕の道を選んでしまいました。戦闘に巻き込まれて傷ついた水島は崖から転げ落ち、通りかかった原住民に助けられました。ところが、実は彼らは人食い人種だったのです。原住民たちは水島を村に連れ帰り、太らせてから儀式の人身御供として捧げるべく、毎日ご馳走を食べさせました。
最初は村人の親切さに喜んでいた水島でしたが、事情を悟って愕然とします。
やがて祭りの日がやってきました。盛大な焚火が熾され、縛られた水島は火炙りにされます。ところが、不意に強い風が起こり、村人が崇拝する精霊・ナッの祀られた木が激しくざわめきだします。「ナッ」のたたりを恐れ、村人達は慄きました。水島上等兵はとっさに竪琴を手に取り、精霊を鎮めるような曲を弾き始めました。やがて風も自然と収まり、村人は「精霊の怒りを鎮める水島の神通力」に感心しました。そして生贄の儀式を中断し、水島に僧衣と、位の高い僧しか持つことができない腕輪を贈り、盛大に送り出してくれたのでした。
ビルマ僧の姿でムドンを目指す水島が道々で目にするのは、無数の日本兵の死体でした。葬るものとておらず、無残に朽ち果て、蟻がたかり、蛆が涌く遺体の山。衝撃を受けた水島は、英霊を葬らずに自分だけ帰国することが申し訳なく、この地に留まろうと決心します。そして、水島は出家し、本物の僧侶となったのでした。
水島からの手紙は、祖国や懐かしい隊員たちへの惜別の想いと共に、強く静かな決意で結ばれていました。
手紙に感涙を注ぐ隊員たちの上で、インコは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのでした。
昨年末に 拙ブログに ミャンマー ビルマ からの visita がありました。あまりにも珍しい国からの visita だったので 何を書こうか迷っているうちに 今日になってしまいました。
なお、『ビルマの竪琴』の原作者・竹山道雄には『スペインの偽金』という作品もあります。(語り手である主人公と従兄弟の青年がスペイン旅行をするのですが、そのころスペインでは贋銀貨がはびこっていて、旅行のあいだじゅう、二人は贋銀貨に振り回されるという話です。)
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