2013年4月15日月曜日

James J. Jeffries nació. ジェームズ・J・ジェフリーズ生まれる(1875年) boxeador


本日、4月15日はジェームズ・J・ジェフリーズ(James J. Jeffries、男性、1875年4月15日 - 1953年3月3日)の生まれた日であります。James J. Jeffries はアメリカ合州国のプロボクサーで、本名はジェームズ・ジャクソン・ジェフリーズ(James Jackson Jeffries)、オハイオ州キャロル出身です。元世界ヘビー級王者で、一度は無配のまま引退するも、6年ぶりの復帰戦で敗退してしまいました。

オハイオ州キャロルの農家に生まれ、6歳の時にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住しました。少年時代からボイラー工場で働いていました(ニックネーム「ボイラーメイカー」の由来でもあります)。
1896年7月2日、21歳でプロデビュー。
1897年、ジェームス・J・コーベットの所属ジム「オリンピッククラブ」に招かれ、スパーリングパートナーを務めるようになりました。
1898年3月22日、ピーター・ジャクソンと対戦し、3回TKO勝ち。
1898年5月6日、トム・シャーキーと対戦し、20回判定勝ち。
1899年6月9日、世界ヘビー級王者ボブ・フィッシモンズに挑戦し、11回KO勝ちで世界王座を獲得しました。
1899年11月3日、防衛戦でトム・シャーキーと再戦し、25回判定勝ちで初防衛に成功しました。(以下の video)

1900年4月6日、防衛戦でジャック・フィネガンと対戦し、初回KO勝ちで2度目の防衛に成功しました。
1900年5月11日、防衛戦でジェームズ・J・コーベットと対戦し、23回に左フックでKO勝ちを収め3度目の防衛に成功。
1901年11月15日、防衛戦でガス・ルーリンと対戦し、5回TKO勝ちで4度目の防衛に成功しました。
次の video は"James J Jeffries vs. Sharkey and Ruhlin"、つまり、シャーキー戦(初戦、或いは初防衛戦)と4度目の防衛戦のものですが、画質が悪く、殆ど分かりません。とにかく、歴史として載せました。

1902年7月25日、防衛戦でボブ・フィッシモンズと再戦し、8回KO勝ちで5度目の防衛に成功。
1903年8月14日、防衛戦でジェームズ・J・コーベットと対戦し、10回に2度のダウンを奪い棄権によるTKO勝ちを収め6度目の防衛に成功しました。
1904年8月26日、防衛戦でジャック・モンローと対戦し、2回TKO勝ちで7度目の防衛に成功しました。この試合を最後に王座を返上し、無敗のまま引退し、サンフェルナンドバレーで農園を開きました。
1910年7月4日、ジェフリーズ引退後に黒人初の世界ヘビー級王者となったジャック・ジョンソンと対戦するために約6年ぶりに復帰するも、15回TKO負けで王座返り咲きに失敗し、そのまま再び引退しました。もうそれ以上闘うことはありませんでした。

James Jackson Jeffries apodado "El calderero" o "La gran esperanza blanca" (nacido el 15 de abril de 1875 en Carroll, Ohio – fallecido el 3 de marzo de 1953 en Burbank, California) fue un campeón del mundo de los pesos pesados de boxeo y según la International Boxing Research Organization (IBRO) uno de los 10 mejores pesos pesados de la historia.
次の foto は1910年のもの、おそらく、Jack Johnson 戦用のものでしょう。この後KO負けするとは思ってもみなかったでしょう。
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