2013年4月26日金曜日

El Bombardeo de Guernica ゲルニカ爆破 (1937年) Gernikako bonbardaketa

El bombardeo de Guernica (Operación Rügen) fue un ataque aéreo realizado sobre esta población española el 26 de abril de 1937, en el transcurso de la Guerra Civil Española, por parte de la Legión Cóndor alemana y la Aviación Legionaria italiana, que combatían en favor de los sublevados contra el gobierno de la Segunda República Española. Las estimaciones actuales de víctimas cifran los fallecidos en un rango que abarca de los 120 a los 300 muertos, 126 según el estudio más reciente y exhaustivo.

次は バスク語(Euskara)版です。Ernesto Mr. T は 1937年4月26日 という表記が日本語と同じ 年・月・日 という順なのに何か親しみを感じます。

Gernikako bonbardaketa 1937ko apirilaren 26an Gerra Zibilean Gernika hiriak (Bizkaia) pairatutako hegazkin-erasoa izan zen. Erasoak zibilak sarraskitu zituen, eta hiria suntsitu: eraikinen % 1 baizik ez zen zutik geratu. Luftwaffe naziaren Kondor Legioa eta italiar faxisten Aviazione Legionariako hegazkinak izan ziren erasotzaileak. Operation Rügen (euskaraz: "Rügen operazioa") izenekoan, hildakoak, azken ikerketen arabera, 250 izan ziren; tartean 126 zibil. Mendebaldeko herrialdeen begietara, Gernikakoa Luftwaffek egin zezakeen terrore bonbardaketaren adibidea izan zen, eta halako ekintzak egiteko prestatuta zegoelako froga zen. Bonbardaketa Pablo Picassoren gerraren aurkako margolan famatuaren gaia izan zen.




スペイン内戦中のゲルニカ爆撃(1937年4月26日)はフランコ反乱軍によるバスク地方攻撃の一環として実施されました。同軍のモラ将軍は1937年3月末から同地方の攻略にかかっており、コンドル軍団(ドイツ空軍遠征隊)の爆撃隊がその支援として空襲を行ったのでした。ゲルニカには共和国政府軍は存在しませんでしたが、通信所などの軍事目標があったほか、バスク地方に展開する共和国軍の補給路の要として極めて戦略的価値の高い後方の要衝だったのです。しかし、この日の爆撃は都市そのものに対する無警告の恐怖爆撃となりました。これは都市と街路そのものを破壊し、共和国軍の移動、補給を妨げる目的を持っていました。また、この爆撃には3機のイタリア爆撃機も参加していました。1937年 4月26日、ハインケルHe111、ユンカースJu52などの爆撃機が相次いで来襲して、約3時間にわたって爆弾約200トンを投下し、機銃掃射を加えました。対空砲火の反撃を受けなかった爆撃隊は低空におりて市街地に銃爆撃を加え、おりからの市に集まっていた住民や家畜を殺傷しました。この日殺害された市民は全住民7000人中1654人に上り、負傷者は899人と云われています(但し、実際の死傷者は300人程度とするものもあります)。

ゲルニカ爆撃が米、英、仏国などの報道機関によって伝えられると、フランコ反乱軍を非難する声が世界的に巻き起こりました。この反響を危惧したフランコやコンドル軍団指揮官フォン・シュペルレらは

    「ゲルニカで都市を破壊し、子供や尼僧までを殺傷したのは、我々に敵対するバスク民族主義者やアナーキストの犯行である。ゲルニカ爆撃は捏造である」

という謀略宣伝に努めました。その結果、相当数の人々がこの宣伝を信じることになりました。現在ではドイツ爆撃隊(イタリア軍含む)による攻撃であることが確認されており、ゲルニカ空襲は都市恐怖爆撃の先例として認識されています。

因みに都市は破壊されましたが、ビスカヤ議会と樫の木は生き残りました。また有名なピカソの『ゲルニカ』は、パリ博覧会のため壁画を依頼されていたピカソが爆撃を知り、憤怒をこめて描きあげたものです。ピカソは共和国政府を支持しており、『ゲルニカ』の前身ともいえる銅版画『フランコの夢と嘘』も製作しています。この都市の象徴的な地位のために、現在のバスク自治憲章は、1936年の自治憲章の継承者であるバスク亡命政府の支持のもと、1978年12月29日にゲルニカで承認されました。現在のバスク自治州首相(レンダカリ)も樫の木の前で宣誓を行っています。

Ernesto Mr. T も以前 この Gernica の町を訪れたことがあります。樫の木の前に立つと思わず涙してしまいました。私たち人間の愚かさにです。


ご意見、ご質問等ございましたら、 <ernestotaju@yahoo.co.jp> へ。

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