2013年3月24日日曜日

Бердя́ев ベルジャーエフ歿(1874年) Berdyaev


ニコライ・アレクサンドロビチ・ベルジャーエフ(Никола́й Алекса́ндрович Бердя́ев,  Nikolai Alexandrovich Berdyaev ,1874年3月18日[ユリウス暦3月6日] - 1948年3月23日¿24日?)は、現代が抱える多くの問題を根本から私たちに考えさせてくれる偉大なロシアの哲学者です。

Nikolái Aleksándrovich Berdiáyev (translitera al cirílico Николай Александрович Бердяев ( Kiev, 1874 - París, 1948) fue un escritor y filósofo ruso, cuyas profundas convicciones religiosas y su oposición al autoritarismo marcaron su obra y su vida.

A los 25 años, sufrió el destierro en el norte de Rusia, condenado por el régimen zarista. En Alemania efectuó estudios de posgraduado. Profesó en la Universidad de Moscú desde 1919 a 1920, siendo después expulsado de su patria por su resuelta oposición al comunismo.

キエフの軍人貴族の家に生まれ、幼年学校に入り、キエフ大学に転じ、1880年代後半の新しい時代の風潮の中で、マルクス主義者となりました。1898年の社会民主党(のちの共産党)の創立大会に参加して逮捕、ボログダへ流刑されました。新カント派とマルクス主義を結びつけようと考え、やがて唯物論から観念論へと転向、『社会哲学における主観主義と個人主義』(1901年)を著しました。1904年秋、ペテルブルグにて、象徴主義の詩運動に象徴される新しい世代の興奮緊張した知的精神のうず巻いている中で、雑誌「生の問題」(1905年まで)を発刊、彼の精神もまた高揚し、思想は洗練されていきました。1905年の革命の挫折の中で神秘的な官能へ逃避し頽廃していく知的社会に対して、ベルジャーエフは現代の超克を目指して雑誌の同人らと論文集『道標』(1909年)を出したが、異常な反響を巻き起こし、たちまち数版を重ね、知識階級と革命を巡って世論は沸き立ちました。が自分を常に「異質な世界にやってきた外来者」と感じていたベルジャーエフの究極の探求は宗教的実存であり、当時の多くの知識人と同様に、革命を社会革命としてではなく白己変革のための倫理革命として考え、政治から退いて、知的精神の変革のための戦いに生涯を捧げたのです。ベルジャーエフの第一の命題は精神の自由であり、『創造の意味』(1916年)でした。ベルジャーエフにとって人間とは創造する主体であり、そこに自由の根拠があるのだが、社会とは創造の主体、我の客体化の相互過程として全一的人格共同体なのであって、利益社会の連帯の機能である現実政治をどうしても受け入れるととができませんでした。共産主義革命の中で精神の自由のために戦っていきました。1918年モスクワに「精神文化公開アカデミー」を開き、そこの講義をもとにして『ドストエアスキーの世界観』(1923年)、『歴史の意味』(同年)が著しました。しかし、その二著の前年、1922年にレーニンの革命政府によってソビエト・ロシアを追放され、ベルリンに赴き、更に1925年にパリに移りましたが、この孤独な実存者は精神の自由のためにあくまでも闘い抜いたのです。多くの著書の中でも、死後に刊行された自伝『自己認識、哲学的自叙伝の試み』(1949年)は自伝文学の傑作で、ロシア語で書かれた最も美しい書物の1つとして有名です。


実際に共産党体制を体験したことから、共産主義への深い考察力を持つようになりました。「共産主義はこの世の王国の宗教であり、彼岸世界も、どんな精神世界をも、最終的にかつ決定的に否定する宗教である」として、共産主義思想を宗教として分析、批判しています。共産主義はあらゆる宗教的な特徴を持つとしており、例えば、マルクスやレーニンの書物を「聖書」として解釈を許容するが批判は許さないこと、国民を信者と非信者に分別し、信者も正統と異端に峻別すること、異端を破門や極刑に処すること、人間に搾取や階級的不平等などの「原罪」が存在すること、貧困のない「神の国」の到来を予言することなどを挙げていまする。さらに、共産主義の教義がユダヤ教の至福千年王国説、救世主思想、選民思想にあることを指摘しています。

ベルジャーエフは、「人間は"歴史的なものの"中にあると同時に"歴史的なもの"は人間的なものの中にある」とし、各個の人間は、世界全体と過去の全ての偉大な歴史的時代が反映されたミクロコスモスであるとしています。

彼は過去、現在、未来を分割して考えることを批判する。そのような歴史観は刹那の連続に過ぎず、本来実在的な<歴史的なもの>が否定されてしまう。<歴史的なるもの>の体得のためには過去から連なる「伝統」と「記憶」が重視される。民族の記憶と象徴的伝統の中に開示される内的生命が歴史に意味を与えるのである。

進歩の理論は、過去と現在を犠牲にして未来を神化する」、したがって進歩主義は「未来による過去の永遠の破壊、後続の世代による先行の世代の永遠の抹殺である」、そして「進歩の宗教は死の宗教」として批判、「進歩の宗教」に対して次の2つの反駁を行っています。第1に、到来すると信仰する未来の一部の人間のために、それ以前のすべての人間を犠牲にしても正義であるとする思想は、人間の道徳に照らして正当化できるのか。第2に、未来の世が過去の世代より高いところに位置する「完全」への進歩など果たしてありうるのか。これは Ernesto Mr. T がいつも考えていることでもあります。

また、フランス人権宣言が義務というものを忘却していると批判、人権に否定的でもあります。また「国民主権は人間主権である。人間主権はその限度を知らない。そして、人間の自由と権利を侵犯する」として、国民主権も批判しています。