バカヤロー解散とは、1953年2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と右派社会党の西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と暴言を吐いたことがきっかけとなって衆議院が1953年3月14日に解散されたため、こう呼ばれていますが、そもそもの原因は「翻訳」だったのです。
「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えますが、映像資料で見れば分かりますように、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で「ばかやろう」とつぶやいたのみで、それを偶然マイクが拾い、気づいた西村が聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態なのです。(昭和ニッポン5-バカヤロー解散と力道山激闘 [ 一億二千万人の映像 ])
以下、問題となった、吉田茂と西村栄一の質疑応答の内容の抜粋であります。
西村「総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか」
吉田「私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。(以下略)」
西村「私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承っておる。イギリス総理大臣の翻訳を 承っておるのではない。(中略)イギリスの総理大臣の楽観論あるいは外国の総理大臣の楽観論ではなしに、(中略)日本の総理大臣に日本国民は問わんとして おるのであります。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります」
吉田「只今の私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁致したのであります。私は確信するのであります」
西村「総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじゃないか」
吉田「無礼なことを言うな!」
西村「何が無礼だ!」
吉田「無礼じゃないか!」
西村「質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ! 答弁できないのか、君は……」
吉田「ばかやろう……」(自席に戻る際ボソッと呟くように吐き捨てる)
西村「何がバカヤローだ! バカヤローとは何事だ!! これを取り消さない限りは、私はお聞きしない。(中略)取り消しなさい。私はきょうは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある」
吉田「……私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
西村「年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取り消された上からは、私は追究しません。(以下略)」
直後に吉田は発言を取り消し、西村栄一もそれを了承したものの、この失言を議会軽視の表れとした右派社会党は、吉田首相を「議員としての懲罰事犯」に該当するとして懲罰委員会に付託するための動議を提出(この背景には鳩山一郎・三木武吉ら自由党非主流派の画策があったと云われております)しました。3月2日に行われた採決に際しては自由党非主流派ばかりか主流派と見られていた広川弘禅農相らの一派も欠席し(この欠席を理由に広川は農相を罷免された)、懲罰委員会への付託動議は可決されたのです(その後、懲罰委員会は開かれたものの、委員会としての決議は出ぬまま衆院解散により廃案となったため、本会議場における懲罰は科されていません)。
さらに追い討ちをかけるように内閣不信任決議案が提出され、先の懲罰事犯の委員会付託動議採決で欠席した自由党鳩山派30余名が脱党し不信任案に賛成したために3月14日にこれも可決されました。これを受けて吉田は衆議院を解散し、4月19日に第26回衆議院議員総選挙が行われることになったのであります。
このようにして「翻訳」が国会(衆議院)解散を引き起こすこととなったのでありました。吉田茂の翻訳失敗談と呼べる出来事です。誤訳以前の問題でした。今からちょうど60年前の出来事でありました。
以下、スペイン語による 吉田茂の解説です。(バカヤロー解散には触れていません。)
以下、スペイン語による 吉田茂の解説です。(バカヤロー解散には触れていません。)
Yoshida Shigeru (吉田 茂) fue un diplomático y político japones nacido el 22 de septiembre de 1878 en Yokosuka, y fallecido el 20 de octubre de 1967 en Tokio, que ejerció como 45.º primer ministro de Japón desde 1946 hasta 1947 y nuevamente, 48.º, 49.º, 50.º y 51.º primer ministro de Japón desde 1948 hasta 1954.
Su política, tuvo un especial énfasis en la recuperación económica y la dependencia de los Estados Unidos en cuanto a protección militar a expensas de la independencia en asuntos exteriores, lo que llegó a ser conocido como la doctrina Yoshida y dio lugar a la política exterior japonesa durante la era de la guerra fría y posterior.
Yoshida nació en Yokosuka cerca de Tokio y estudio en la Universidad Imperial de Tokyo. Entró en el cuerpo diplomático de Japón en 1906, poco antes de la victoria japonesa contra ante Rusia en la guerra Ruso-Japonesa. Fue embajador del Japón en Italia y Reino Unido durante la década de los 30 y finalmente, termino su estancia como embajador en Londres en 1938. A finales de los años 30 y principios de los 40, Yoshida continuó participando en el movimiento imperialista japonés. Después de algunos meses en prisión en 1945, llegó a ser uno de los líderes del Japón de la post guerra.
Yoshida se convirtió en el 45.º primer ministro el 22 de mayo de 1946. Sus ideales pro-Americanos y pro-Británicos y su conocimiento de las sociedades occidentales, conseguidos a lo largo de su educación, carrera política y diplomática, hacían de el el perfecto candidato ante los ojos de las fuerzas de ocupación. Tras ser reemplazado por Katayama Tetsu el 24 de mayo de 1947, retornó al puesto como el 48.º primer ministro el 15 de octubre de 1948, cargo que ocupó hasta 1954, al ser reelegido sucesivamente por tres veces (cuadragésimo noveno 16 de febrero de 1949; quincuagésimo: 30 de octubre de 1952; y quincuagésimo primero: 21 de mayo de 1953), y finalmente fue derrotado el 10 de diciembre de 1954, cuando fue reemplazado por Ichirō Hatoyama. Se retiro de la Dieta de Japón en 1955.
Bajo el mandato de Yoshida, Japón consiguió reconstruir sus destruidas infraestructuras industriales y restablecer su poder económico. Muchos de estos conceptos, aun continúan vigentes en la política y la economía de Japón, aunque desde el final de la Guerra fría, Japón trata de redefinir sus metas nacionales.
ご意見、ご質問等ございましたら、 <ernestotaju@yahoo.co.jp> へ。