2013年3月23日土曜日

スタンダール歿す Stendhal murió (1824年)




スタンダール(Stendhal、1783年1月23日 - 1842年3月23日)は、グルノーブル出身のフランスの小説家で、本名はマリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)です。ペンネームのスタンダールはドイツの小都市シュテンダルに由来すると云われています。

Henri Beyle (Grenoble, 23 de enero de 1783 – París, 23 de marzo de 1842), más conocido por su seudónimo Stendhal, fue un escritor francés del siglo XIX.

Valorado por su agudo análisis de la psicología de sus personajes y la concisión de su estilo, es considerado uno de los primeros y más importantes literatos del Realismo. Es conocido sobre todo por sus novelas Rojo y negro (Le Rouge et le Noir, 1830) y La cartuja de Parma (La chartreuse de Parme, 1839).



グルノーブル高等法院の弁護士の子として生まれました。母方の実家も地元の名士であり、スタンダールは幼少期を地方の名士の子として何不自由なく暮らしました。7歳の時に亡くなった母を終生、異常なまでに偏愛し続け、その反動で、実務家で王党派の父を激しく憎み続けました。そのため、スタンダールは父とは正反対のロマンチストの共和主義者として、その後の生涯を送る事になったのです。

父の期待を受けて勉学に勤しんだスタンダールは、1799年、優秀な成績で理工科学校の入学試験に合格しました。しかし、慣れないパリの生活で鬱になり、母方の祖父のアンリ・ガニョンの従兄弟のノエル・ダリュの家に引き取られました。ダリュの息子が当時、陸軍省事務次官をつとめていた関係から、スタンダールはダリュの口利きで陸軍少尉に任官し、イタリア遠征に参加しました。母方のガニョン家がイタリア系だったこともあり、元来、イタリアに憧れを持っていたスタンダールは遠征先のイタリアを気に入り、以後、イタリアを第二の故郷とみなすようになりました。なお、祖国・フランスは父のイメージと重なるためか、生涯好きになる事は出来なかったようです。

軍人となったスタンダールでしたが、実際には馬に乗る事も剣を振るう事も出来ず、もっぱら女遊びと観劇にうつつをぬかしていたそうです。1802年、軍を辞め、輸入問屋に勤めたりしましたが、大陸封鎖令によって海外貿易が途絶してしまったため、1806年、ダリュを頼って、陸軍主計官補の仕事を得、その後は官僚として順調に出世し、1810年には帝室財務監査官にまで昇進しました。その後も経理畑を歩んでいきますが、ナポレオン・ボナパルトの没落によって、スタンダール自身も没落してしまいました。

その後はフリーのジャーナリストとして、活躍しました。ナポレオン没落後、イタリアに渡り、現地の自由主義者と親交を結びましたが、やがて「スタンダールはフランスのスパイだ」という噂が広まり、失意のうちにフランスに帰国することとなりました。

不遇の時代に、スタンダールは1822年、39歳の時に『恋愛論』、1830年(47歳)に『赤と黒』を発表しました。特に、元神学生による殺人未遂事件を素材に、野心に燃える青年の成功と挫折を描いた代表作『赤と黒』は、当時は評判にはなりませんでしたが、王政復古下のフランス社会を鋭く批判したものであり、彼の政治思想の真骨頂がよく表現されています。

1830年、七月革命が勃発すると、自由主義者として知られていたスタンダールに再び政治の世界から声がかかるようになり、トリエステ駐在フランス領事に任命されました。しかし、オーストリアの宰相・メッテルニヒの承認が得られなかったため、ローマ教皇領チヴィタヴェッキア駐在フランス領事に転じました。1836年から39年まで休暇をとってパリに戻り、『パルムの僧院』を著しました。

1842年、パリの街頭で脳出血で倒れ、死去しました。1824年の今日、3月23日にです。墓碑銘は「ミラノ人アッリゴ・ベイレ 書いた 愛した 生きた」です。
En su lápida hizo escribir el siguiente epitafio (tal como puede leerse en la fotografía): «Arrigo Beyle, milanese. Scrisse, amò, visse Ann. LIX M. II. Morì il XXIII marzo MDCCCXLII» («Henri Beyle, milanés. Escribió, amó, vivió 59 años, 2 meses. Murió el 23 de marzo de 1842»).



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