今日は チャイコフスキーの『白鳥の湖』をモスクワ・ボリショイ劇場バレエ団が初演した記念日です。(1877年3月4日)
以下の切手(1993年)は チャイコフスキーの没後2年目の1895年にサンクト・ペテルブルグのマリンスキー劇場で蘇演されたときの模様を表したものです。
El lago de los cisnes op. 20 (en ruso: Лебединое Озеро, Lebedínoye óziero) es el primero de los tres ballets que escribió el compositor ruso Piotr Ilich Chaikovsky (1840-1893).
Originalmente encargado al maestro por el Teatro Bolshói, este ballet es uno de los más conocidos. Su primera presentación tuvo lugar en el Teatro Bolshói de Moscú con la coreografía de Julius Reisinger el 4 de marzo de 1877. Paradójicamente, no fue muy aceptado en su momento. Sin embargo, el 15 de enero de 1895, con la nueva coreografía de Marius Petipa y de Lev Ivánov esta obra logró un gran éxito en el Teatro Mariinsky de San Petersburgo. Marius Petipa se encargó del primer y tercer acto (actos en el castillo) y Lev Ivánov del segundo y cuarto acto (actos del lago).
この素晴らしい ボリショイ劇場バレエ団の最近のスキャンダルは何なのでしょうか。以下、3日前の毎日新聞の記事です。
「ボリショイ・バレエ団のセルゲイ・フィーリン芸術監督(42)がモスクワの自宅前で顔を覆った男に顔面や頭部に硫酸をかけられ、大やけどを負ったのは1月中旬の深夜。数回にわたり皮膚や目の手術を受け、心配された失明の危機を逃れた。しかし、スターダンサー出身で美男子のフィーリン氏が頭や首に包帯を巻き、頬を腫らした痛々しい姿は国内外に衝撃を与えた。
フィーリン氏は事件後のインタビューで「誰に襲われたのか察しはつく。犯行は私を職から遠ざけ、ボリショイを傷つける狙いだ」と関係者の関与を示唆。地元メディアなどによると、疑いの目を向けられているのはバレエ団トップダンサーのニコライ・チスカリーゼ氏(39)だ。フィーリン氏と監督の座を争い、運営方針でも対立が伝えられていた。チスカリーゼ氏は「事件を口実にして、自分を排除しようとしている」と反論。フィーリン氏がバレエ団の若返りを試みていたことから、配役をめぐる怨恨説も根強い。
一方で、なかなか容疑者が逮捕されないことから、他のトラブルが原因とする臆測が後を絶たない。1月下旬には何者かがインターネット交流サイト「フェイスブック」のフィーリン氏のページに侵入し「ボリショイが一般向けの切符販売を制限し、ダフ屋に横流ししている」と書き込んだ。同氏は疑惑への関与を否定したが、近年はボリショイの切符入手が難しくなっていることから、謎の書き込みは劇場に対する不信感をあおる形になった。バレエ界では「女性問題をめぐるトラブルなのだが、あまりにも格好が悪いので内部紛争を装っている」とのうわさも流れている。
創立237年のボリショイはロシア国内で「特別な劇場」といわれるが、ここ数年はゴタゴタが目立つ。11年秋に本館の修復工事を終えたが、総工費が当初見積もりを50億ルーブル(約150億円)以上も上回り、資金流用の疑惑が取りざたされた。同年の監督交代の際には、有力候補が同性愛者と疑われるような写真をインターネット上に流され、辞退に追い込まれる“事件”が起きた。
昨夏にボリショイを退団した元日本人ダンサーの岩田守弘さん(42歳、現ロシア国立ブリャート歌舞劇場バレエ団芸術監督)は古巣の醜聞について、ダンサー間の配役争いを描いた米映画になぞらえ、「まるで『ブラック・スワン』の世界だ」と嘆く。
事件後のボリショイは一部演目を変更したが、人気の「白鳥の湖」などで満席が続く。ソ連時代には共産党幹部と結婚し、自らの影響力の維持を図るバレリーナもいたという名門バレエ団。観客は醜聞を知りながら「全ての面で普通の尺度で測れないバレエ団」(岩田さん)にひかれているようだ。」
『白鳥の湖』は日本では初め『白鳥湖』と呼ばれていたそうです。
最後に19世紀半ばのボリショイ劇場の賑やかさをよく表している絵を載せておきます。