2013年3月25日月曜日

José de Espronceda nació. エスプロンセーダ生まれる(1808年) ロマン主義詩人


ホセ・デ・エスプロンセーダ(José de Espronceda、洗礼名:José Ignacio Javier Oriol Encarnación de Espronceda y Delgado、1808年3月25日-1842年5月23日)は、スペインの詩人で、19世紀スペインのロマン主義では、最も重要な人物の1人でしょう。
José Ignacio Javier Oriol Encarnación de Espronceda Delgado (Almendralejo, España; 25 de marzo de 1808 - Madrid; 23 de mayo de 1842), fue un célebre escritor de la época del Romanticismo, considerado como el más destacado poeta romántico español.
ホセ・デ・エスプロンセーダは Almendralejo アルメンドラレーホ(パダホス)に生まれ、波澗万丈の短い人生(34歳で死去)を送りました。エスプロンセーダが生まれた年は、スペインがナポレオン率いるフランス軍に対して宣戦布告し、独立戦争(1808-1813)が勃発した年です。幼きエスプロンセーダは戦争が齎した一時の勝利と同時に惨禍をも見て育ったのです。1820年以降、一家はマドリードに移り住み、ホセは翌年ロマン主義の大詩人 Alberto Lista アルベルト・リスタ(1775-1848)のもとで学び、少なからず感化されました。
若くして自由主義思想に傾倒し、1823年フェルナンド7世が絶対主義的統治に復帰し、自由主義の旗印を掲げる軍人 Rafael del Riego ラフェアル・デ・リエーゴがマドリードで処刑されると、エスプロンセーダは仲間たちと los Numantinos「ヌマンシアの人々」という愛国同盟を結成しますが、摘発され、Guadalajara グアダラハーラの僧院に軟禁されてしまいました。軍の大佐であった父親の手回しのおかげですぐにも釈放されましたが、僧院ではスペインにおけるイスラームの支配をテーマにした叙事詩 El Pelayo「エル・ぺラーヨ」を書いています。
1826年、リスボンに渡り、そこで良かれ悪しかれエスプロンセーダの人生に大きな影響 を及ぼすことになる Teresa Mancha テレサ・マンチャという女性と出会います。翌1827年にはイギリスに渡り、続いてフランスやオランダなどで亡命生活を送ったあと、1831年ロンドンに 戻ると、一家でロンドンに移り住んでいたテレサと再会しました。リスボン時代の愛が再燃し、テレサは既に夫と子供を持つ身でありながら、エスプロンセーダとの駆け落ちに踏み切りました。2年後、二人はマドリードに移り住みますが、政治的活動にのめり込み家庭を顧みなかった夫エスプロンセーダに愛想を尽かした妻テレサは、詩人と娘を残して別の男と Valladolid バジャドリードへ去って行きました。しかし、その愛人テレサは1839年に結核を患い、29歳の短い生涯を閉じてしまいました。詩人本人の人生とて長くはありませんでした。テレサと別れたあと、政治的活動と同時に文筆業にも携わり、1840年から1842年にかけて El diablo mundo『悪魔の世界』という詩作品を発表しました。その1842年にはまた Bernarda de Beruete ベルナルダ・デ・ベルエテという別の女性との結婚しようともしていましたが、この romanticismo の詩人は34歳の若さで病死してしまいました。『悪魔の世界』も未完のまま残ってしまいました。


エスプロンセーダの短い持情詩には、«Himno al Sol»「太陽の讃歌」、«Canción del pirata»「海賊の歌」(以下の video)、«El mendigo»「物乞い」、«El canto del cosaco»「コサックの歌」、«El reo de muerte»「死刑囚」などがあり、そこには大なり小なり独特の厭世観、懐疑の念、そして生きることの苦悩が漂っています。「海賊の歌」は青春の象徴であり、ここには社会の秩序や法を無視する海賊すなわち反逆児が登場します。この人物にとっては持ち船が宝であり、自由は神なのです。また力と風は法、海は祖国であるため、己の自由のためとあれば、危険を顧みずに突き進むのです。死を恐れることは決して無いのです。「コサックの歌」では、コサックの人々と都会に生きる人々とを対比させ、堕落したヨーロッパ社会とそこに住む人聞を糾弾しています。「物乞い」の人物は周囲の人々が一生懸命に働くのを尻目に、自由閥達に物乞いをします。そこには貪欲な感情などありえません。なぜなら、財産を蓄えるのに汗水垂らして働くことこそが、自由を奪われ、他人に隷属する原因となるからです。「死刑囚」では、死刑囚の罪や苦悩に言及するというよりは、むしろ無慈悲な運命が強調されています。


一方、«A una estrella»「星に」や «A Jarifa en una orgía»「乱痴気騒ぎのハリファへ」(以下の video) のように、詩人の率直な内面の苦悩を表現した詩もあります。「星に」では、愛と喜びが永遠のものであるかのように感じられていた過去の幸せと、その幸せが既に苦痛に代わってしまった現在とが対比され、この先詩人を待ち受けるものは涙と苦しみでしかないことが明かされます。この詩にはホルへ・マンリーケ風の Ubi sunt 「ウビ・スント」(「我々の先祖はどこへ行った?」)のテーマが用いられていますが、エスプ ロンセーダの詩的世界にはマンリーケが主張した現世の物事に対する死後の永遠なる生という概念は見当たりません。絶望の淵に立たされたまま、当てどなく人生を漂うだけで、希望の光などはどこにもないのです。


なお、最近邦訳の出た El estudiante de Salamanca 『サラマンカの学生』に関しては別の機会に譲ることとします。
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