アメリゴ・べスプッチ (伊: Amerigo Vespucci、1454年3月9日 - 1512年2月22日) は、アメリカ州を探検したフィレンツェ生まれのイタリアの探検家にして商人です。
アメリゴ・べスプッチはフィレンツェ共和国のフィレンツェ南部のモンテフィオラッレ (Montefioralle) で生まれ、彼のおじに育てられましたた。 アメリゴは、ロレンツォ・デ・メディチとその息子のジョバンニに仕えていました。1492年、スペイン、セビリアにあるメディチ銀行の支店に出向となりました。
ポルトガル王マヌエル1世の招待で、1499年から1502年の間に、アメリゴは南米の東海岸を探検する航海に observador として何度か参加しました。1500年カブラルが、ポルトガル王の命によって喜望峰を超えてインドに向かう途上で、南緯16度52分の地点でブラジルを発見しました。ポルトガルは Tordesillas トルデシージャス条約に よって、この領土を主張しました。ポルトガル王は、発見された土地が単なる島なのか、あるいはスペインが既にその北側を探検していた大陸の一部なのか知ることを望みました。 マヌエル1世が派遣した探検隊の observador であったアメリゴが、新しい探検に最適の人物であると考えられました。そのようにして始まった探検隊でしたが、当初 アメリゴに指揮権は無く、ゴンサロ・コエーリョ (Gonçalo Coelho) の指揮下にありましたが、最終的にアメリゴが責任者となりました。
1497年 - 1504年の間に、4度、新大陸へ航海。Cristóbar Colón コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を東アジアであると考えたのに対し、アメリゴはアジアとは別の大陸、すなわち(ヨーロッパから見て)新大陸であると主張し、また Colón コロンブスより1年早い1491年に到達したと虚偽の発表をしました。
それにより、また、商人であり自己アピールに長けたアメリゴ・ベスプッチのラテン語名アメリクス・ウェスプキウス (Americus Vespucius) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付けられたのです。 後に最初に到達したという嘘は暴かれましたが、その時には既にアメリカという名前が定着してしまっていたのです。
アメリゴ・ベスプッチは1512年2月22日、セビージャで亡くなりました。